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稲富博士のスコッチノート

第22章 シェリーウッドの故郷を訪ねて- その2

スペイン北部のオークの森で伐採され、製材所で樽用の平板に加工された材は、シェリーの産地であるヘレス(Jerez)の樽工場へは運ばれて樽に組み立てられる。今回はヘレスにおける樽つくりをご紹介する。

ヘレス

ヘレス空港:空港に着くと、明るい空と太陽の光、南国の椰子の木と、樽のディスプレーがシェリーの郷にきた事を実感させてくれる。

ヘレスのアルカザール:旧市街中心部にあるアルカザールは、12世紀からの城塞跡でヘレスの古い歴史を語る。前の広場にはジャカランダの花が満開だった。

ヘレスはスペイン南西部アンダルシア地方の中心都市で、現在の人口は約18万人。大西洋に面したカディス湾から北東へ10kmほどの内陸にあり、マドリッドからは飛行機で約1時間の距離にある。訪問したのは6月だったが、飛行機から降り立つと豊かな陽光とシェリー酒のビルボードが出迎えてくれ、すぐに“ああシェリーの町だ"と実感する。

この地方は、その長い歴史の中で多くの民族が交錯し、多彩な文化を育んで来た。最初にこの町を建設したのはフェニキア人で、紀元前1100年頃と考えられている。以後、ギリシャ人、ローマ人が続き、紀元8世紀から15世紀の間は北アフリカのムーア人が支配した。ヘレスの正式地名はJerez de la Frontera(国境のヘレスの意)で、ムーア人のイスラム社会とスペイン人のキリスト教社会の境界を意味している。ヘレスの地名も、ムーア人が支配した時代のアラビア語のXerez(Shareesh=シャリ-シュ)に由来し、シェリー酒(Sherry)も語原を同じくする。気候は地中海気候で冬は温暖だが、乾燥した夏の気温は40℃にも達する。多くの歴史遺産、美術館、民族音楽とフラメンコ、美味しい食事、と多くの魅力に富んだ町である。

ヘレスの樽つくり史*

ワインを発祥した地中海地方では、ワインの貯蔵と輸送には色々な容器が使われた。樽が使われる以前は、“新しいワインは新しい革袋に"と聖書にある革袋や、アンフォラという土製の甕が用いられた。しかしながら、これらは、液体をいれる容器に求められる条件、例えば、堅牢なこと、軽いこと、漏れないこと、輸送しやすいこと、品質が劣化しない等を満たすには問題が多かった。樽は900B.C.にはギリシャ人がワインを保存するのに使用し、その後ローマ人が輸送に使ったので樽がヨーロッパに広がったとされる。木製の樽はそれ以前の容器に比べてはるかに優れており、歴史的な‘容器革命'であった。

ヘレスで何時ごろから樽が使われるようになったかは不明だが、15世紀後半にはクーパー(樽職人)がいて、ワイン用の樽が取引されていた記録があり、名家の財産目録には樽が含まれていた。樽職人(クーパー)は古くからギルドを形成した。1558年の聖体行列の行進では、参加した全てのギルド24のうち、クーパーは6番目に行進した。行進の順番はギルドの創設の古い順という決まりだったので、クーパーのギルドは最も古いものの一つであったことが分かる。

1567年には材や容量の規格と、違反した場合の罰則が決められた。バット(Butt、約550L)、パイプ(Pipe、ポートワイン等の貯蔵に使われ長い樽で約530L)、パンチョン(Puncheon、約500L)、クォーター(Quarter、約125L)、やオクターブ(Octave、約65L)の規格は現在でも使われている。当時ヘレスでは、栗、ヘーゼル、オーク、桜など色々の樹木が樽つくりに利用されたが、ワインの容器としてもっとも価値が高かったのはオークの樽であった。

この頃、ヘレスではすでに世界各地のオークから樽が作られていた。クーパーがこれらのオーク材を産地別に評価した順位は、アメリカ産、北ヨーロッパ産、イタリア産の順で、スパニッシュ・オークの評価は低くかった。アメリカ材は、当時ヨーロッパからアメリカへの輸出の帰り荷として持ってこられたが、その生地のよさ、節の少なさ、加工し易さ、樹脂の少なさ、ワインが良い熟成をする、などから評価が高く、スペインのオークの評価が低かったのは、加工が難しい、木目が粗くてワインが漏れやすい、タンニンが過剰でワインが渋くなるなどの理由による。そのスパニッシュ・オークのシェリー樽がウイスキーで評価されるのは、これで熟成したウイスキーが類稀な風味になるからである。現在ヘレスで最もよく使われる樽はバット(Butt)と言われる種類で、長さ1300mm、最大の胴径900mm、容量500Lである。次いで、250LのHogsheadもよく目にする。

樽つくり

樽材の天然乾燥:TEVAZA社の樽材置場では、スペイン北部から送られてきたステ-ブを約1年間野外に置いて天然乾燥する。南スペインの照りつける陽光と乾燥した空気が材の水分を製樽に適した12%まで低下させる。

樽の仮組み:側板(ステ-ブ)をフープ(鉄帯)に沿って並べているところ。側板をフープと簡単な治具、それに手だけで組んで行く。よく倒れないと思うが、材と材の接面はアーチ型になっているので倒れてこない。

材の焙煎:仮組みされた樽をコンロの上において20-30分間ゆっくり加熱する。この加熱の方法は焙煎方式と言われ、熱が材の中心部までよく浸透する。

製樽会社の経営者ロマン兄弟と出来上がった樽:左側弟のマニュエルは経営を担当、右側お兄さんのホセは樽工場の工場長である。二人とも陽気で親切なスパニヤードである。出来上がった樽はボデガに運ばれシェリーが詰められる。

ヘレスにある樽工場、テバサ社(TEVASA)を訪問した。ここは前回ご紹介したフォレスタル・ぺニンシュラ社と同じ系列の大手の会社である。この会社での樽つくりの手順は次のとおりである。

1.材の乾燥
北部スペインから搬入された樽材は約1年間天然乾燥される。この間に樽材は、スペイン南部の太陽と乾燥した空気に晒され、水分が40%から12%へ減少する。よく乾燥しておくと、樽に作ってから材が歪まないし、自然乾燥中に材の不要な成分が抜けて後で入れるワインやウイスキーの品質に良い影響を与える。

2.側板の鉋削
樽の胴部になる側板の加工は次の手順で行われる。
〔1〕必要な長さに切る。シェリーバットの場合は長さ1300mmである。
〔2〕樽の外側が円形になるように鉋で外面にカーブが付くよう削る。
〔3〕板の両側を中央部が広く、両端行くにしたがって細くなるよう、また外側から内側に行くにしたがってすこし細くなるように削る。この目的は、側板を曲げたときに、隣接する側板どうしが平面で密着して液体が漏れないようにするためである。この面(ジョイント、Jointと言われる)は、樽の命とも言うべき部分で、その加工は最も重要な工程である。

3.鏡板を作成する
鏡板は樽の両端に付く円形の平板である。樽材をこの円より大き目の四角に並べ、板と板をずれないように釘で止め、出来た四角い板を円形に切りとると鏡板ができ上がる。鏡板の縁は、胴部の両端に切られた溝にぴったり填まるよう溝と同じ形状に削られる。

4.胴の仮組み
一丁の樽(樽は一丁、二丁と数える)を作るのに必要な側板(25-35枚程度)を準備し、仮輪にそって円形に並べる。形と強度が均一になるよう幅の広い側板の両側には幅の狭いものを配置する。並べ終わると樽の上半分に丈夫なトラスフープ(締輪)をいれてしっかり固定する。

5.加熱処理と曲げ加工
こうして下半分が開いた状態に仮組された樽を直火コンロの上に運び20~30分、温度が200℃くらいになるようじっくりと加熱する。この時材がひび割れしないよう樽の外側には時々水を掛けてやる。樽の内面は茶褐色に焦げた状態になるが燃えて炭になることはない。時間をかけてゆっくり熱を掛けるこの方法を焙煎と言い,ヨーロッパで伝統的に行われている加熱の方法である。 加熱の目的は2つあり、1番目は次の工程で側板を曲げるときに折れたり、割れたりしないように材を柔らかくすること、2番目は加熱により生木臭や過剰のタンニンを減らし、ワインやウイスキーの熟成に良い香味をもたらすバニリンやカラメル様の甘いフレーバーを生成することである。酒の品質という点からは、この加熱処理は最も重要な工程といえる。 十分熱が行き渡り、材が柔らかくなったところで開いていた下部をワイヤーで絞り、樽の形に整形する。

6.アリ溝切りと鏡入れ
こうして出来上がった樽の両端にアリ溝を切る。アリとは樽の両端の鏡板がはめ込まれる溝のことである。このアリ溝に鏡板を入れ、10本のフープをしっかり締めるとほぼ完成である。

7.漏れテストと仕上げ
このようにして出来上がった樽は、中に少量の水をいれてコンプレッサーから圧力空気を送り込み、漏れがないかチェックされる。合格すれば表面を仕上げて出来上がりとなる。

樽が出来上がってもこれでウイスキーが詰められるわけではない。これからボデガ(シェリー蔵)に運ばれ、更に3年間シェリー酒でシーズニング(Seasoning; 処理、慣らし、枯らしの意)されてシェリー・ウッドになるのである。シェリー・ウッドに力をいれているMacallan社やサントリーでは、良質のシェリー・ウッドを確保する為に、材の品質、製樽時の加熱方法等を指定して新樽を購入し、ボデガへはシェリーの種類や期間を決めてシーズニングを委託している。次回はこのシーズニングについてお話する。

*本節は、Manuel M. Gonzalez Gordon著‘Sherry'、1972 Cassell London を参照した。