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稲富博士のスコッチノート

第14章 グレーン・ウイスキー-その1 A.Coffeyまで

スコッチ・ウイスキーと聞いて先ず想起するのは、ハイランド地方で生産されるモルト・ウイスキーである。そのイメージは、ハイランドの荒涼とした山々、谷を流れる清冽な水、小さな蒸溜所の佇まい、独特の形のPot Still、代々ウイスキーを作りつづけた職人達等である。長い歴史を経て確立したモルト・ウイスキーは、スコッチ独自の風味や高い品質をつくる中心的な役割をはたしているが、一方全体の70%を占めるグレーン・ウイスキーの存在抜きにスコッチ・ウイスキーは有り得ない。今回は、ハイランドのモルト・ウイスキーと全く異なった経緯で発展して来たグレーン・ウイスキーについて述べる。

グレーン・ウイスキーの現在的な定義

グレーン・ウイスキー原料に使われる小麦(左)ととうもろこし(右)

グレーン・ウイスキーは、「とうもろこしや小麦等の発芽させていない穀類を、麦芽の酵素力で糖化し、醗酵させたものを連続式蒸溜器で蒸留したもの」が通念となっている。法的には、1990年のスコッチ・ウイスキー規則第一項の、「スコットランドの蒸溜所において、水と麦芽(他の全粒の穀類だけは加えてよい)を原料して・・・・・」に準拠している。元々グレーンあるいはグレイン(Grain)は穀類やその種子のことで、モルト(Malt)が発芽した大麦を意味する事と対照して、未発芽の状態のものを指している。モルト・ウイスキーが発芽した大麦麦芽だけを原料として蒸溜されるのに対して、グレーン・ウイスキーの製造には麦芽だけでなく、発芽させていない穀類を主原料として使用する為このように呼ばれるようになった。

Potで蒸溜されたグレーン・ウイスキー

アイリッシュ・ウイスキーの蒸溜釜。容量140KLのこの蒸溜釜は世界最大のPot Stillである。スコットランドのローランドでは19世紀後半まで同じような蒸溜釜でグレ-ン・ウイスキーが蒸溜されていた(Irish Distillers社)

麦芽に発芽していない穀類を加えてウイスキーをつくる手法が何時どこで始まったかよく分かっていない。麦芽の酵素力は非常に強く、酵素力をもたない穀類を大量に加えても、それらの澱粉も糖分に変える力をもっている事は17世紀頃には知られていたし、これはまだ推測の域を出ないのだが、麦芽に大麦を加えてウイスキーをつくるアイルランドの技法がスコットランドのローランド地方に伝わった可能性は高い。グレーン・ウイスキーは、19世紀前半に連続式蒸溜器が発明されるよりずっと以前からつくられていたが、この時代のグレーン・ウイスキーはすべてPotで蒸溜されていた。大麦を麦芽で糖化し、非常に大型のPot 蒸溜器で3回蒸溜する方法はアイリッシュと同じである。事実、第一次大戦頃までスコットランドのローランド地方でつくられたこのようなウイスキーはアイリッシュ・ウイスキーと呼ばれていた。1820年代後半までアイリッシュ・ウイスキーの生産量はスコッチ・ウイスキ-を上回っていたし、市場での人気も高かった。

ハイランドとローランド

ハイランドとローランドは、東海岸のDundeeと西岸のGreenockを結ぶ線で分けられる。この線は想像上の線で地理的なものではない

未発芽の穀類を加える意味合いは、酒税と原料コストの低減にあった。ウイスキーに対する課税は17世紀から始まったが、18世紀始めのスコットランドとイングランドの合併以来、あの手この手で強化された。原料の麦芽への課税(1725年)、もろみへの課税(1784年)、蒸溜釜の大きさ別課税(1786 年)等である。これらの課税のうち、1784年のもろみ法によるもろみ1ガロンあたり1ペンスの酒税はイングランドとスコットランドのローランド地方で適用され、ハイランドでは20ガロンの蒸溜釜あたり年間1ポンドで非常に低い税率が適用された。この法の執行の為には、ハイランド地方とローランド地方を区分けする事が必要である。ハイランドとローランドの境界線のハイランド・ラインの原型は、この時代に決まっている。現在のハイランド・ラインは東海岸の都市ダンディー(Dundee)から、西岸のグリーンノック (Greenock)を結ぶ線とされ、この線より北がハイランド、南がローランドと規定されている。今ではウイスキーにかかる酒税が違うことはないが、ウイスキーのラベルにあるHighland Malt Whisky とかLowland Malt Whiskyの表示に生産地域を表すものとして使用されている。

ローランド・ウイスキーの品質と用途

ジン用スピリッツの精溜釜 スコットランドのローランドから送られたグレーン・スピリッツはロンドンのジン・メーカで再度蒸溜・精製されてからベースとして使用された。この精溜釜は比較的近代のもの(Beefeater社)

旧Kirkliston蒸留所 1829年8月、 エジンバラ郊外にあるこの蒸溜所でスティーンは彼が発明した連続蒸溜器のテストに成功した。現在は麦芽や麦芽エキスを製造していて、ウイスキーは作っていない

酒税から逃れる方法はハイランドでは密造と密輸であった。麦芽のみを原料としてゆっくり手作りで蒸溜されたハイランド・ウイスキーの品質は高い評価を受け、都市の市場では引っ張りだこだった。一方、エジンバラやグラスゴーに近く、酒税官の監視の目が届きやすいローランド地方ではハイランドのように隠れて密造する訳には行かず、これらの課税は死活問題であった。ローランドの蒸溜業者はコスト・ダウンに活路を探る。麦芽に比べて安価な穀類を大量に使用したのがグレーン・ウイスキーの始まりであった。その他急速蒸溜技術の開発、大規模生産などが導入されコストは下がったが、このような製法でつくられたウイスキーの品質の評価は低かった。このことは今の技術からも十分想定できる。Fifeのある蒸溜所は「その品質の劣悪さでつとに有名であった」という。

では何故このような品質で事業が成り立ったのだろうか。理由は、ローランド・ウイスキーはそのままウイスキーとして飲用されたのはごく一部で、殆どが蒸溜すると直ぐにイングランド、特にロンドンへ輸出されジンに加工されていたからである。ジンの製造にあたって、スピリッツの品質はあまり問題ではなかった。ローランドの粗悪なスピリッツはまず再度蒸溜し精製されたからである。単式の精溜器(Purifier)でゆっくり精溜し、フーゼル、アルデヒド、高級脂肪酸、エステル、硫黄化合物などの不純物を除去した。このようにして得られた純度の高いスピリッツにジュニパー・ベリー(杜松の実。ジン特有のフレーバーを与える)やその他の草根木皮を加え、ジン・スティルで蒸溜しジンがつくられた。

連続式蒸溜器の発明

20世紀初頭のカフェー・スティル これは珍しく円形だが、角型が多い。左側もろみ塔でアルコールが分離され、右側の精留塔で精留・濃縮される。(Nettleton,J.A.,Manufacture of Whisky and Plain Spirit.1913のJohn Dore社の広告)

Potでスピリッツを蒸溜する方法は基本的に生産性が低い。特に、エネルギー、水、労働力を大量に消費する。工場の規模にも限界がある。この課題を解決したのが蒸溜工程の連続化であった。スティーン(Stein)家と、スティーンと姻戚関係にあったヘイグ(Haig)家は共に18世紀からローランドに多くの蒸溜所を所有する有力蒸溜業者であったが、その中の一人ロバートは1827年に最初に実用化された連続式蒸溜器を発明、特許を取得した。スティ-ンの蒸溜器がどのようなものだったか不明な点が多いが、「蒸溜塔は粗布のヘァクロスでいくつもの空間に仕切られ、加熱されたもろみはこのヘァクロスの上に散布される。下から上ってきた蒸気で加熱されたもろみのアルコール分は蒸発し、上部のヘァクロスを通って上昇する。アルコールを失ったもろみは下部のヘァクロスを通過して落下して行く」と説明されている。スティーンの蒸溜器は、アルコール分を一挙に94度以上に高める事が出来、品質は非常にすっきりしていた。スティーンの連続蒸溜器はかなりのローランド蒸溜所ヘ設置されたが、3年後の1830年、カフェー(A.Coffey)によって発明された改良型の連続式蒸溜器の出現で短命のうちに姿を消した。