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バランタイン17年ホテルバー物語

ホテル グランパシフィック LE DAIBA メインバー「ルイ ロペス」

第14回 「定跡と奇跡」

作・達磨 信  写真・川田 雅宏

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。

  少しばかり焦ったか。いや、そうじゃない。胸の内を衝動で明かしてしまっていた。後悔先に立たず、の繰り返し。用意周到とか、段取りを踏むとか、理詰めという言動を取れない。この性格は幾つになっても変わらない。
「また、やっちまった。バカだな、俺」
  ハイボールを飲み干し、ため息まじりに独り言を発してしまった。
「神楽崎さん、今日は叩きましたね」
  バーテンダーの飯塚がわざとらしく無表情に声をかけてきた。からかいたいこころの内がすぐさま読めた。とはいえ、ゴルフじゃないよ、とは言い返せない。まさか女性のことでグチグチと悩んでいるとは思ってもいないだろう。
  今日の秋晴れ同様、ゴルフは調子よかった。アプローチがピンに気持ちよくからんだ。
「そうなんだよ。ラフの荒海に手こずり、次にはバンカーで座礁してしまう。正しい航路を取れなかった」
  とりあえず、そう嘘をつくしかなかった。
「よほど調子が悪かったんですね。今夜は一杯目のハイボールのピッチがやけに早いな、と思っていたんですよ。それにどんなにスコアが悪くても、これまで愚痴をおっしゃることはなかった」
「だから、からかいにくい、ってことかい」
「ええ。今夜はそっとしておきます」
  飯塚はそう言って笑い、「次の一杯、ご用意いたしましょう」とゴッド・ファーザーの準備をはじめた。

  父が起こした輸入家具を扱う商社を継いで5年が経つ。アンティークに関しては3歳年下で専務の弟にまかせているが、社長業は忙しく細々とした配慮も必要で、なかなか休みが取れない。状況を見計らって、月に2回ほど平日に休みを取るというか、周囲に無理矢理休まされる。弟いわく「リラックスすることができない男」だそうだ。
「頼むからたまには仕事から離れてくれ。社員の気遣いも考えろ」
  弟にそう叱られつづけている。すでに中学生と小学生のふたりの子供を持つ彼は、「兄さんも家庭を持たなきゃ駄目だな。40も半ばになってこれからどうするの。家族を養えば、仕事のリズムもかわる」と最近やかましい。会長におさまり、悠々自適の身分の父は息子たちのそんなやり取りをただ笑って見ている。
  与えられた休みは決まって千葉の房総でゴルフを楽しむ。その帰りには必ずといっていいほどホテル グランパシフィック LE DAIBAに1泊する。チェックインして上階の部屋に入り、バスタブに湯が溜まるまで東京湾の夜景をぼんやりと眺め、身体を清めてからメインバー「ルイ ロペス」のカウンター席に収まるのがパターン化してしまった。
トラディショナルなヨーロピアン調のしっとりとしたバーの空気感が気に入って常連となった。生真面目そうに見えて、気さくな一面を垣間見せる飯塚との波長が合ったことも大きい。
  最初に彼の酒を飲んだ時、客との適度な距離感、緊張感を保つのが上手なバーテンダーだと感じ入った。いまでは距離感は随分と縮まってしまったが、当然のこととはいえ、いくら親しくなってもホテルバーマンとしての姿勢が崩れることはない。
  飯塚がミキシンググラスでステアをしているのを眺めながら、ため息をついてしまう。ゴッド・ファーザーをつくり終えたあと、苦笑しながら聞いてきた。
「神楽崎さん、今夜はおかしいですよ。ゴルフを引きずっていらっしゃるのではないようですね。お仕事が大変なら、ここで飲んでいる場合じゃないでしょうから、まさか、ひょっとして恋わずらいだったりして」
  どきりとした。口ごもっていたら、飯塚が目を丸くして言葉を重ねてきた。
「まさか。ほんとうに。恋、ですか」
  そう言われて、思わずコクンと頷いてしまった。

  新進気鋭として注目を浴びているインテリアデザイナーの美貴と知り合って2年になる。ごくたまに食事をする程度の仕事上の知り合いなのだが、今年の春にゴルフを一緒にした。それ以降はなかなか休みがうまくかみ合うことがなく、久しぶりに今日が3回目のラウンドとなった。
  帰り際食事に誘ったのだが、自宅で仕事をしなければならないと言う彼女を都内のマンションにクルマで送った。彼女のゴルフバッグを玄関前まで運び、別れの挨拶をしようとしたが、口から飛び出した言葉は「結婚していただけませんでしょうか」だった。
  彼女はきょとんとした顔をしたまま、「ああ、えっ」と訳のわからない声だけを発し、ペコリと頭を下げると逃げるように立ち去ってしまったのだ。
「そりゃそうだよな。そんな素振りを見せたこともなければ、いちゃついたこともない。彼女はまだ30歳だから、45歳のおっさんなんか対象じゃないよ」
  飯塚がまた目を丸くしている。
「アドレスのゆとりもなく、いきなり打っちゃったんだよ。俺ってバカだ」
  そうひとりで愚痴っていると、やっと飯塚が口を開いた。
「いまは年の差婚が珍しくないですから、15歳差は関係ないんじゃないでしょうか。それよりもアプローチショットがお上手な神楽崎さんの行動とは思えませんね」
「いやいや。俺って、いつもこんな失敗ばかり。とくにプライベートとなるとすべて勢いだけで進んじゃう」
「でも、よほど素敵な方なんでしょう。唐突過ぎるほど、勢いがついちゃうくらいですから」
「明るくて嫌味がまったくない。第一印象は元気な歌のお姉さんみたいな感じかな。仕事の話をしていても、食事をしていても、ゴルフをしていても、とにかく楽しくて、それに疲れないんだ」
「ごちそうさまです。しかしながらお酒の飲み方はハイボール、ゴッド・ファーザー、オン・ザ・ロックとすべてバランタイン17年で筋が通っていらっしゃるのに。ルイ ロペスのバーの名にふさわしい、定跡といえる飲み方です」
「恋はチェスのようにいかないだろう。ルイ・ロペスさんはチェスの基本形の他に、恋のオープニングの基本形を残してはいないのかな」
「ええ、多分。残してはいないでしょう。本職といったらおかしいですが、スペインのカトリック司祭でしたから」
  飯塚の返答と同時にまたため息が出た。するとピッチが早いと警告された。
  ゴッド・ファーザーの味わいがよくわからない。いつもならバランタイン17年の甘美さとディサローノ・アマレットのふくよかさが相まった味わいにこころが和むのだが、今夜はまるい気持ちになれない。せっかく丁寧にステアしてくれた飯塚にいまの心地は話せない。
  オン・ザ・ロックをオーダーすると、飯塚が勇気づけてくれた。
「いつもの神楽崎さんの飲み方ですね。こうして定跡を守っていれば、相手の駒が転がりこんでくるかもしれません。ゴルフにたとえるならば、チップ・イン・バーディーが起こるかもしれませんよ」
  その言葉にただチカラなく頷くしかなかった。
  美貴はもう、会社に連絡をよこすことはないであろう。店舗にさえ訪ねてくれないかもしれない。でも、だ。オトコ神楽崎、彼女の仕事のバックアップは陰ながらしてあげよう。
  オン・ザ・ロックを啜りながら、そう自分に言い聞かせていたところにジャケットの内ポケットが震えた。携帯へメールが入った。仕事で何かあったのか、と確認する。すると美貴からだった。胸が痛くなり、嫌な苦いものが胃からのぼってくるような気がした。怖々、メールを開いた。
“今日はとても楽しい一日でした。ありがとうございました。別れ際の件、前向きに考えさせていただきます。今夜は飲み過ぎないでください”
  信じられなかった。何度も読み返した。とにかくこころを落ち着かせようとしたが、
「飯塚クン、きみの言う通りチップ・イン・バーディーかもしれない。とりあえず難しいホールをクリア」と小さく弾んだ声をかけた。
  飯塚は一瞬きょとんとした顔つきをしたが、すぐに笑みになり、「まさか、まさか。これはホール・イン・ワンですよ」と返してきた。苦味のような感覚は消え、口中にバランタイン17年の甘美さが広がっていくのを感じた。
(第14回「定跡と奇跡」了)

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。 登場人物
神楽崎(会社社長)
美貴(インテリアデザイナー)
飯塚貴也(ルイ ロペス、バーテンダー) 飯塚貴也(ルイ ロペス、バーテンダー) 協力 ホテル グランパシフィック LE DAIBA 135-8701
東京都港区台場2-6-1
Tel. 03-5500-6711(代表)

MAIN BAR 「RUY LOPEZ」
Tel. 03-5500-6603(直通)
17:30~24:00

バランタイン17年 ¥1,800
ウイスキー ¥1,400~
ゴッド・ファーザー ¥2,000(バランタイン17年ベース)
カクテル ¥1,300~
(料金にはサービス料、消費税が含まれています/チャージ無し)

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