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稲富博士のスコッチノート

第88章 クラフト蒸溜所-その3 バリンダラック蒸溜所

1.バリンダラック蒸溜所

モルト蒸溜の中心地は何と言ってもスペイサイドである。そのスペイサイドのど真ん中で昨年11月に操業を始めた小さな蒸溜所がある。バリンダラック(Ballindallock)蒸溜所である。アヴィモアからエルギンに向けてスペイ川沿いに走る国道95号線が、スペイ川の支流のアーン川(River Avon: 'Ah-n'と発音)を渡る少し前で右手に見える。

マクファーソン‐グラント家

前章でご紹介したキングスバーンズ蒸溜所を、“農民と貴族の合作”と表したが、今回のバリンダラック蒸溜所は、“貴族の作品”と言って良いだろう。オーナーは15世紀のグラント家の時代から、現在のマクファーソン‐グラント(Macpherson-Grant)家まで23代続くこの地方有数のレイアード(Laird = 大地主)である。1838年から1983年までの6代は英国の貴族順位で6番目のバロネット(Baronet= 準男爵)に叙されていた。当主のレディー・クレア・マクファーソン-グラントも、公式のタイトルはバンフ州統監というからバンフ州におけるエリザベス女王の名代の地位にあたる。彼女と夫のオリバー・ラッセル氏はウイリアム皇太子とケイト妃の結婚式にも招待されるほどの家柄である。

このマクファーソン‐グラント家が所有しているのがバリンダラック・エステートである。エステートの意味は多様だが、この場合は山野、森林、農地、建物、工場等を含む広大な所領の意である。バリンダラック・エステートの面積や地図上の境界線が那辺にあるのか調べたいと思い、この地方のある博物館で聞いたのだが、実は公開されていないとのことであった。公開されていなくても、広大な所領であることは容易に想像がつく。

バリンダラック・キャッスルと庭園

マクファーソン‐グラント家が1546年から居城としてきたのがバリンダラック・キャッスルである。蒸溜所を過ぎてアーン川を渡り、95号線最大の難所-左ヘアピン・カーブを曲がりつつ登る急坂-を過ぎると、数百メートルで左側にキャッスルへの進入道路がある。それを入ってすぐに道路の中央に受付があるので、入場料を払い(キャッスルと庭園で一人£10.50)キャッスル近くの駐車場へ向かうが、車で数分かかる。

まず目を引くのが、独立した建物の大きなデューカット(Doocot = 鳩小屋)である。前章でご紹介したキングスバーンズ蒸溜所もそうであったが、以前はスコットランドの多くのキャッスルや農場はどこでも鳩小屋があり、鳩やその卵は厳しい冬場の貴重な食料源であった。もっとも、鳩は常時近くの農園の穀物をついばんでいるので、人間はそれを肉や卵の形で回収したとも言える。

鳩の効用は、それだけに留まらない。糞は皮なめしに使われ肥料として畑に還元された。それと、以前から鳩糞は禿げに効くという言い伝えがあったが、最近鶏舎で働いている人は多毛であることが明らかになり、伝説に科学的根拠が加わった。

2.バリンダラック・キャッスルのデュ‐カット:8.6mx4.4mの石造りで築年は1696年、中には844個の巣箱がある。今でも鳩は住み着いていて、見ていると数羽の鳩がドームの飛翔口から飛び立っていった。

バリンダラック・キャッスルの規模は、他の大貴族のキャッスル、例えばサザーランド(Southerland)のダンロビン(Dunrobin)、アーガイル(Argyle)公のインヴェラリー(Inveraray) やアソール(Athol)公のブレアー(Blair)等に比べるとうんと小ぶりであるが、スコットランドで最もロマンチックな城といわれている。
いくら歴史と伝統があり、高貴な家柄であっても、エステートを維持管理して行くのは容易ではない。すべて自己責任でエステートを管理して行くしか存続する道はないのである。以下、バリンダラックのエステート・ビジネスの概要である。

3.バリンダラック・キャッスル:スペイ渓谷の素晴らしい環境、完璧に手入れされた庭園とマッチして‘北の真珠’と呼ばれるのももっともだと思われる。

まず、スコットランドのハイランド・エステートの伝統である農業、林業、土地の賃貸、釣り、ハンティングがある。農業は、大麦やオーツの栽培、農地を農家に貸し出す他、キャッスルの中の草地でアバディーン・アンガス種の育種を行っている。肉牛として最も評価の高いアバディーン・アンガスは、名の通りアバディーンとアンガス地方が原産地であるが、バリンダラックのアバディーン・アンガスは最も古い血統の一つで、多くの品評会でメダルを獲得してきた。

アバディーン・アンガスは無角、基本は黒、スコットランドの厳しい冬にも耐える頑健さをもち、おとなしく飼育しやすい。肉にはサシと言われる脂肪交雑が入りやすく、人気が高い。訪問時に見たバリンダラック・キャッスルのアバディーン・アンガスは約30頭の群れであった。

4.バリンダラック・キャッスルのアバディーン・アンガスのブル(雄牛):通常、体重は雄は約850kg、雌は約550kgである。手前の柵の注意書きは、“入場は無料ですが、(入られますと)、後ほどブルがチャージするでしょう”とある。チャージの、‘請求する’と‘攻撃する’を掛けているが、無機的な“入場禁止”よりユーモアがあって良い。

エステートが経営しているその他のビジネスとして主なものは、企業のイベント会場、ゴルフ・コース(9ホールだが、ティーは18あり、別のティーから2ラウンド回ると6500ヤード、パー72になる。スコットランドでベストの9ホールと言われている)、ウインド・ファーム(風力発電。タービン28基)、それとモルト・ウイスキーの蒸溜所である。(詳しくは、参考資料2.のバリンダラック・キャッスルのウエッブサイトをご参照ください。)

バリンダラック・キャッスルと庭園

シングル・エステート製品は、シャトー・ワインがその代表であるが、ティー、コーヒー、チョコレート、オリーブ・オイルなどの農産物では以前から存在した。シングル・エステート蒸溜所という概念は最近出てきたもので、バリンダラック蒸溜所はスコッチ・ウイスキーでは最初であるが、ジン、ウオッカ、ラム、テキーラではこれを呼称しているものが相当ある。

冒頭の写真からお分かりのように、バリンダラック蒸溜所はBallindallock Single Estate Distilleryとなっている。この、Single Estateがこのモルト蒸溜所の基本コンセプトで、その意味は、“ウイスキーつくりの伝統を守り、必要なものは、極力バリンダラック・エステートの中でまかなう。原料大麦は自家農園で栽培、仕込み水はエステート内を流れる川の水、エステートの中で蒸溜・貯蔵する。発生する糖化粕はエステートの牧場で牛に与え、その他の副産物は肥料として畑に還元。操業は地元出身のスタッフが経験と技で行い、コンピューターは使用しない”となる。

5.バリンダラック・エステートの大麦畑:エステート入り口横の大麦畑では、収穫間近で黄金色に熟した大麦が秋の陽光に揺れていた。大麦が麦芽に加工されてウイスキーの仕込みに使われるのは2-3ヶ月くらい後である

蒸溜所の諸元は下記の通りである。
●建物:1800年台初めからの農作業場を改装した
●大麦:自家農園で栽培した大麦。品種はコンチェルト
●麦芽:ノン・ピーテッド
●仕込槽:ステンレス・スティール製で、一回の仕込みは麦芽1トン
●醗酵槽:ダグラス・ファー製で容量5000リッターが4基。醗酵時間は66時間から100時間
●初溜釜:1基。銅製でコンストリクテッド・ネック。張込み容量5,000リッター。蒸気加熱
●再溜釜:1基。銅製、小さなバルジ・ヘッド。張込み3,600リッター。蒸気加熱
●コンデンサー:初・再溜共ワーム(蛇管式)
●貯蔵庫:場内に輪木積み貯蔵庫1棟

6.バリンダラック蒸溜所のポット・スティル:向こう側が初溜釜、手前が再溜釜である。左手奥に検度器、右隅に見える木桶は醗酵槽である

スペイサイドのウイスキーつくりの原点は、以前多くの農家が自家で栽培した大麦を蒸溜していたところにある。スコッチ・ウイスキー産業の発展とともにこれらのファーム・ディスティラリーは消滅してしまったが、エステート蒸溜所の狙いは、自家の農園で取れた原料、水、蓄積された技などの伝統的価値を復活させることにある。人的なスキルの活用とともに、設備も古くからのやりかたで意味があるところも、このコンセプトに適っている。蒸溜釜のコンデンサーに古いタイプのワームを導入したのはその一例と思われる。ワームは、冷却効率は悪いが、ウイスキーの成分とワームの銅との反応が少ないので、出来るウイスキーの風味はヘビー、ミーティーになるのである。

7.ワームタブ:木製の桶は冷却水が満たされていてウイスキーの蒸気を冷却して液体に戻すワーム(蛇管)が漬かっている。農家の自家蒸溜の時代から1970年代まで大半のモルト蒸溜所はこのタイプのコンデンサーを使用していた。

バリンダラック蒸溜所の責任者は、当主、クレア・マクファーソン - グラントの長男、ガイ(Guy)マクファーソン‐グラント氏である。マクファーソン - グラント家は以前からウイスキーと無縁ではなかった。トップ・クラス・モルトのクラガンモア(Cragganmore)蒸溜所はバリンダラック・エステートの中にあるし、19世紀の終わりまでマクファーソン - グラント家はマイノリティーではあるが株主だった。
蒸溜所の公式オープンは今年4月16日に行われたが、その時の主賓は、Duke of Rothesayのチャールズ・カミラ皇太子夫妻であった。さすが、マクファーソン - グラントの家柄である。(このニュースは資料5に詳しい)

尚、ウイスキーは8年から10年間熟成後でないと発売しないという。

参考資料
1.Ballindalloch Castle. Heritage Home Media Ltd. 2011
2.http://www.ballindallochcastle.co.uk/
3.http://canmore.org.uk/site/15990/ballindalloch-castle-dovecot
4.http://www.spiritofspeyside.com/news/299_a_whole_new_meaning_to_diy_micro_distilleries_in_speyside
5.http://www.dailymail.co.uk/femail/article-3042277/Getting-tipsy-tartan-Charles-Camilla-giggles-whisky-casks-royal-seal-new-Scottish-distillery.html