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稲富博士のスコッチノート

第76章 イングランド、昨今の酒事情-1.ハーベイのブリストル・クリーム

現在、スコッチウイスキーの貯蔵熟成に使われる樽の95%は、アメリカ産のオーク(Quercus alba)から作り、一度バーボン・ウイスキーの熟成に使われた180リッターのバレル(Barrel)か、そのバレルの側板の枚数を増やして胴径を太くして、それに会う大きな鏡板を入れたホッグス・ヘッド(Hogshead)である。この一度バーボンに使われた樽をスコッチの熟成に使うようになったのはそんなに昔でなく1950年代である。それ以前はヨーロッパから樽で輸入されてきたワインの空樽、特にシェリーの空樽が好んで使われていた。バーボン材の樽を使い始めた理由は、急増する需要に対応するため蒸溜を増やしたが、それに伴ってワイン樽だけでは不足したのである。

バーボン材の樽で熟成させたウイスキーの色調は黄金色を帯び、バニラ、クリーム、カラメル様のアロマに、味わいはまろやかでやや甘味があり、後味が長い。一方、スペイン産のオーク(Quercus robur)を材量として作った約500リッターのバット(Butt)でシェリーを熟成させた後のシェリー・ウッドを使うと、ウイスキーは濃い赤胴色で、干しブドウ、マラスキーノチェリー、コーヒー様の香りとなり、ダークチョコレートの苦みにシェリーの甘味が混じった深く複雑な味わいになる。

そのスコッチウイスキー用のシェリー樽だが、1970年代までの最大の供給元はスペインでなく英国南西部の都市、ブリストルであった。ここに世界最大のシェリー会社、ジョン・ハーベイ社(John Harvey & Sons Ltd)があったからである。

ブリストルのワイン

2.ブリストルのボルドー埠頭:この埠頭にボルドー埠頭の名前が付いたのはいつ頃が良く分からないが、ボルドーからのワインが大量に着いたからではないだろうか。 今は使われなくなった上屋には多くのレストランが入り、多数の観光客で賑わっている。

現在のブリストルは、近郊をいれると人口約58万人、全英で9番目の大都市である。12世紀頃からウエールズ、アイルランド、フランス西部、スペインやポルトガルとの交易で栄えた。海外交易だが、ブリストルは海岸になく、港は大西洋から大きく入り込んでいるブリストル海峡に注ぐエーヴォン(Avon)川の河口から13㎞ほどの上流にある。中世の貿易品は、ウール、魚、ワイン、穀類等であったが、17世紀からイギリスによるアメリカの植民地化が進むと奴隷貿易の中心となった暗い過去ももつ。

これらの貿易の中で、ブリストルにとって重要だったのはワインである。中世時代は、庶民の飲み物はビールであり、ヨーロッパから輸入されるワインは高級品で上流階級の飲み物であった。ワイン商の利益は大きかったがリスクも同じく大きかった。ブドウの収穫が終わり、ワインが出来上がるのは晩秋から冬にかけてで、大西洋は悪天候の日が多く航海には多大の危険が伴った。海賊も随所に待ち構えていて、捕まると積荷は没収、船員の命と引き換えに輸入主は多額の身代金を支払わされた。

ワインは、14世紀までは主にアンジューやボルドーから輸入された。12世紀から14世紀、イギリスのプランタジネット朝当時、フランス西部のロアールから南はスペイン国境までは英国領だったからである。ブリストルには今もボルドー埠頭(Bordeaux Quey)という船着き場が残っている。(写真2.ボルドー埠頭:)

英仏間の百年戦争が始まったのが1337年、終わったのが1453年である。結果としてイギリスはフランス西部の領地をほとんど失ったのだが、以降ブリストルのワイン商はポルトガルやスペインからの輸入を増やしていった。スペインからのワインには大量のシェリーが含まれるようになるのだが、これは英西戦争中の1587年に英国海軍のドレーク提督がカディス港を襲撃した時に3,000バッツ(Butts)ものシェリーを収奪して持ち帰り、これがイギリス人のシェリー好きの始まりという。

ジョン・ハーベイ社-1 発祥から第二次大戦終わりまで

3.デンマーク・ストリートに残る貯蔵庫:写真中央の石作りの貯蔵庫は、その後フラットに改造され今も使われている。

世界で最も良く飲まれているシェリーは、ジョン・ハーベイ社のブリストル・クリームである。ハーベイ社の起源は1796年にウイリアム・ペリーが、ブリストルの港湾の近くのデンマーク・ストリート12番地にあった家を買い取り、シェリーやポートの輸入商を始めた時に遡る。ペリーの買い取った家にはかって修道院があり、その地下には13世紀からのセラーがあった。

以後、何人かの共同経営者が加わったが、船乗りだったトーマス・ハーベイと息子のジョンが見習いとして働くようになったのは1822年である。19世紀中ごろになると、スペイン、ポルトガルワインの扱いが増え、初代ジョンの息子のジョン、エドワードとチャールズも会社で働くようになった。創業時代の共同経営時代の後は、初代ジョン・ハーベイが経営を引き継ぎ、1871年に社名をジョン・ハーベイ・アンド・サンズに変更している。

ジョン・ハーベイ社は順調に拡大した。当初、生産はデンマーク・ストリート12番地のセラーで行っていた。このセラーは、埠頭とトンネルで繋がっていて、ワインやシェリーの樽はトンネル内を転がして搬入された。このトンネル、入り口は現在封鎖されているがトンネル自体はそのまま残っているそうである。セラーではワインを樽から直接瓶に手詰していたが、その様子は古い写真に見ることが出来る。

生産量の増加に伴って1900年代初めにはデンマーク・ストリートの反対側に貯蔵庫と瓶詰ラインが設けられ、以後ブレンドと瓶詰は1960年にブリストル郊外に建設された近代的なブレンド・瓶詰工場へ移転するまでここで行われた。

1940年、デンマーク・ストリート12番地の本社はドイツ空軍の空襲で破壊された。地下のセラーや貯蔵庫が爆撃を免れたのは幸運だったが、創業以来の貴重な社内資料、ワインに関連する収集品と美術品が失われた。

ジョン・ハーベイ社-2 第二次大戦後の発展と変遷

第二次世界大戦後の急増する世界的な需要に対応するには、手狭なデンマーク・ストリートでの生産では不可能であった。1960年、会社はブリストル郊外に最新技術を採用した新しいブレンド・瓶詰プラントを建設し、創業以来続いたデンマーク・ストリートの生産を移転した。

創業以来170年間ハーベイ家によって経営されてきた会社も、1966年に外部の資本を受け入れ公開会社に転換した。戦後の拡大も大きかったが、将来の発展の為に解決すべき課題もあり大きな資金が必要だった。世界的なマーケティング活動、スペインにおけるシェリー会社の買収、ワイナリーやボデガ、シェリーの在庫の拡充、ポート・ワイン会社の買収等である。

ハーベイ社は長年、必要なシェリーを確保する為へレスで取引を行ってきたが、へレスでの生産を増強することはもう一つ喫緊の理由があった。スペイン政府は、シェリーはヘレスで製品化すべきとの立場だったし、ヨーロッパ諸共同体(EC)も、各国が独自に制定していた原産地名称保護を欧州で総括する動きにあった。1989年、ブリストルのハーベイ社のブレンド・瓶詰は、シェリーはヘレスへ、ポートはポルトガルのオポルトへ移転した。

その後、ワイン・スピリッツ産業の世界的な再編成があり、ハーベイ社の経営は何社かのグローバル企業を経て現在はアメリカのビーム社(Beam Inc.)の傘下にある。

ブリストル・クリーム

4.ブリストル・クリーム:種々のシェリーをブレンドして新しい味を作り出す技法でクリーム・シェリーという新しいスタイルを創成した。今でも世界で最もよく飲まれているシェリー・ブランドである。

ハーベイ社がグローバル企業に発展する原動力になったのは同社のブリストル・クリームである。1860年代の初め頃、初代ジョンの息子のジョンと弟のエドワードは、新しいブレンデッド・シェリーを開発していた。「ブリストル・クリーム」というブランド名については、まだブランド名も決まっていないある時、偶々セラーを訪れた貴婦人に、既存品の「ブリストル・ミルク(濃厚なダーク・シェリー)」と比べて試飲してもらったところ、彼女が“あちらがミルクなら、こちらはクリームね”と言ったというエピソードに由来する。

1882年には、ブリストル・クリームの商標が登録された。1884年のケニア向けが輸出の最初だったが、すぐアメリカ、インド、オーストラリア、カナダなどの旧英国植民地に拡大した。

ハーベイ社は、ブレンドに使うシェリーをスペインの南西部、へレス地区から輸入した。シェリーは、フィノ、アモンティヤード、オロロソ、ペドロ・ヒメネスに大別されるが、ブリストル・クリームはこれらのシェリーのブレンドで、配合されている糖度の高いペドロ・ヒメネスが甘味と複雑味を与え、このスタイルが当時の人々の嗜好に合って大ヒット商品になったのである。

シェリー市場の変化

世界的にシェリーが最も飲まれたのは1970年代後半で、主要マーケットは英国、オランダ、ドイツ、アメリカである。約1,800万打分(含むバルク輸出)がヘレスから輸出されたが、その後急速に衰退する。衰退の理由としていくつか挙げられている。1960年代から多くの低価格、低品質の疑似シェリー(ブリティッシュ・シェリー、キプロス・シェリー、南アシェリー、カリフォルニア・シェリー、オーストラリア・シェリー等々)が市場に参入し価格競争が激化、又一部のスペインのシェリー自体の品質低下もあって消費者の信頼を失った事、イメージが旧世代の飲み物になっていった事(太ったおばさんが、毎日サイド・ボードから取り出して“ちょこっと”飲む感じ)、新しい消費者の嗜好変化でドライな味が好まれるようになった事等が挙げられている。

ハーベイズ・ワイン・レストランと博物館

1960年に生産が郊外の新プラントへ移ってから、ブリストル・クリーム発祥のデンマーク・ストリート12番地のセラーはどうなっただろうか。1962年にワイン・レストランを開店、レベルの高い料理とハーベイ社のネットワークで調達した第一級のワインを提供した。1965年には、ハーベイズ・ワイン博物館を開館し、ワインやシェリーに関する歴史、産地、ブドウ品種や製法、味の特徴、ブリストルのワイン史、ハーベイ社のクリスタルや銀製の古い時代のものを含んだワイン・グラス、デカンターのコレクションが展示されていたそうである。残念であるが、このワイン博物館は2003年に閉鎖された。コレクションがどこに行ったか良く分からないそうだが、ごく一部は2011年に新しく開業したレストラン、ハーベイズ・セラーズの一角に残されている(巻頭写真)

ハーベイズ・セラーズ

5.ハーベイズ・セラーズ:ブリストル・クリーム発祥の地下セラーは、今は洒落たスパニッシュ・ レストランになっている。入口両側にはHarveysと書かれた樽が置かれている。

ブリストルからハーベイ社の生産が去り、ワイン博物館も閉鎖されて、かっては町の象徴だったハーベイの名前も消え去る危機にあったが、この歴史的な名前をブリストルに永遠にとどめたいと地元の実業家がこのレストランを開店した。(写真6.ハーベイズ・セラ-ズ)

デンマーク・ストリートからの入り口を地下へ降りてゆくと、右側にはギャラリーがあり、しばしば地元のアーティストによる個展が開かれている。ギャラリーを入った左側の壁面は全面ブリストル・クリームの瓶を横に積んで出来ていて、バックライトを通じて見るコバルト・ブルーが幻想的である。ギャラリーを通り抜けるとライブ音楽の部屋で、週末には演奏がある。その奥には、落ち着いたVIPルームとその隣には小規模だが以前セラーで使われていた道具や樽の展示がある。

6.ハーベイ・セラーズ、ギャラリーの壁面。ブリストル・クリームの瓶を重ねたもの。この瓶色は、1994年に18世紀からブリストルの特産だったコバルト・ブルー色に変更したときに採用された。

ライブ・スタジオの左側、一階の入り口からまっすぐ降りたところに、メインのバーとダイニングがある。モダンなデザインだが落ち着いた感じである。

折角来たので食事をすることにした。ドリンク・リストはワイン、シェリー、スピリッツ、カクテルと非常に充実している。(フルメニューはHarveryscellarsのWebsiteで見えます)アペリティフはBristol Cream Signature Serve、ブリストル・クリーム50mlをアイスの上に注いでレモンのスライスを入れ、オレンジのスライスの皮をピンチしながら霧になって出てくるオレンジ・オイルに火をつけてからグラスの淵をこする。オレンジのフレッシュな香りとブリストル・クリームの甘さ、複雑さがうまく調和して上質の美味しさである。

食事はクレオール風タパス。クレオール(Creole)料理は、カリブ海や中南米へ移住したスペイン人が自国のスペイン料理を現地風にアレンジしたもので、米、トマト、オクラ等を使い、香辛料が効いているのが特徴である。ワインは、マンサニージャにした。へレス北西部のサンルカール・デ・バルメーダ地区で造られるこのシェリーは、軽く、ドライでデリケートな味わいをもち食事と良く合った。(写真7.ハーベイズ・セラーズのタパス)

7.クレオール風タパス:手前左からエビのガーリックとチリ炒め、豆ごはん、ポーク・リブの香草煮込み。豆ごはんは、豆が小豆で赤飯だった。

1796年に、ブリストルのデンマーク・ストリートのセラーで始まったブリストルのシェリー・ビジネスは180年余の歴史を閉じたが、社会が大きく変動する中でハーベイ社はよく対応した。ハーベイ社の開発したブレンデッド・シェリーのコンセプトと味わい、シェリーの工業化と世界的な市場開発の功績は大きい。

シェリーは、へレスの古い歴史と豊かな文化が生んだ独自のスタイルをもつ優れたワインである。長年低迷しているが、最近その良さが再認識されやや上向きの兆候があるという。フィノ、マンサニージャ、アモンティヤードは食事に良く合うし、オロロソやブリストル・クリームなどの甘口も、洒落たアペリティフやデザート・ワインとして美味しい。斬新なマーケティングがあればシェリーの良さが再び見直される日が来ると思う。

参考資料
1. Bristol Past. Donald Jones, Phillimore & Co. Ltd, 2000.
2. The Harvey Dinasty. Thomas Henry, Harveys of Bristol Limited, 1986.
3. http://en.wikipedia.org/wiki/Sherry
4. http://www.flickr.com/
5. http://archiver.rootsweb.ancestry.com/th/read/Bristol_and_Somerset/2002-06/1024800959
6. http://visitbristol.co.uk/media-and-press/press-releases/2012/1/8/harveys-cellars-celebrates-the-history-of-harveys-bristol-cream-a1680
7. https://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/23/
8. http://harveyscellars.co.uk/