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稲富博士のスコッチノート

第69章 ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ

グランド・クエイヒ:「キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」の象徴のこのクエイヒは銀製で直径60cm。新会員の就任式で新会員はこのクエイヒに右手を置き、会員としての責務の実行を誓う。
(Picture by Courtesy of Birgitta Buxrud)

「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」(The Keepers of the Quaich)という組織がある。スコッチ・ウイスキーには業界に関連した多くの組織があるが、この「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」は、格式という点で突出した組織である。なにしろ、メンバー(キーパー)は、スコッチ・ウイスキーの発展に深くコミットし特に優れた貢献があったと業界から認められて会から招聘された人だけで構成されている。キーパーは国籍を問わず全世界から選ばれ、現在87カ国からの会員数は2100人余、英国人以外が60%を占めている。メンバーは、スコッチ・ウイスキーの業界人以外では、マーケティングや営業関係者、著名なウイスキー・ライター、研究・生産技術者など多様であるが、唯一全員に共通しているのは、スコットランドとスコッチ・ウイスキーへの愛情で、会のモットーは「Uisgebeatha Gubrath」(ウイスキーよ永遠なれ)である 。

クエイヒ

クエイヒ(Quaich)というのは、スコットランドでは17世紀頃から使われてきた酒杯で、起源は諸説あるが、北欧が起源と考えられている。元々は、樽のように木片を柳の小枝や金属のバンドで締め付けて鉢の形にし、それに2本の取手を付けたが、のちに錫合金や銀などの金属で作られるようになった。ガラスのカップが一般化したので、今は日常的に使われることはないが、ギフトや記念品、儀式や特別なイベントにはよく使われる。クエイヒで飲む酒は、いまは圧倒的にウイスキーで、クエイヒはスコットランドの酒文化、特にスコッチ・ウイスキーの表象となっている。「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」は言わば「スコッチ・ウイスキーの聖杯の守護者」であり、メンバーはスコッチ・ウイスキーの守護者としての責務を負う。

ブレア城(Blair Castle)

現在のブレア城:城の最も古い部分は13世紀に遡る。現在まで幾多の改修が行われ、現在の建物は19世紀に当時流行していたスコッティッシュ・バロニアルに改修されたものである。

「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」は毎年春、秋二回、世界中からメンバーが集まり正餐を開いているが、その会場となるのがブレア城である。パース(Perth)の北数十kmにあり、18世紀初頭からアソール(Athol)公爵に任じられてきたマレィ(Murray)家の城館である。

以降の300年の間にブレア城とマレィ家は何度となく歴史の動乱に揺さぶられた。特に、1745年のジャコバイトの乱にあって第一代公爵と二男のジェームスが政府側に、長男のウイリアムと三男のジョージがジャコバイト側に分かれる混乱もあった。1746年のカローデンの戦いで、ジャコバイト軍の中で最も頼りになったのは副司令官を務めたジョージであったが、敗戦の後逃れたオランダで客死、長男のウイリアムは捉えられてロンドン塔で獄死している。第二代公爵を継いだのは二男のジェームスであった。

以後300年、ブレア城とそのエステートは現在の第十一代公爵のジョンまで受け継がれてきた。エステートは、総面積5億8千万m²、甲子園球場のグラウンドの1万3千倍以上あり、その広大な敷地の中に農地、森林、庭園、鹿牧場などがある。今は一般公開されていて、観光地としても有名なので行かれた方も多いと思う。城内の見学は、30室が公開され、展示されている絵画、家具、武具、陶器などが700年の波乱に富んだ歴史を語っている。

アソール・ハイランダーズ

アソール・ハイランダー:ブレア城に着いたキーパーを、正装のアソール・ハイランダーが儀杖兵として出迎えてくれる。

毎年、春と秋に「キーパー・オブ・ザ・クエイヒ」の会員がブレア城に集まる。恒例のディナーと、その前に行われる新しいキーパーの就任式に出席するためである。ブレア城に到着したキーパーやそのゲストを出迎えてくれるのがアソール・ハイランダーズ(Athol Highlanders)で、ヨーロッパで唯一認可されているアソール公爵の私兵である。1745-46年のジャコバイトの反乱以来、どのスコットランドのクランも自分の軍隊を持つ事は禁止されたが、1839年に第6代アソール公爵が自分のボディー・ガードとして再編した。1844年にアソール城にゲストとして3週間滞在されたビクトリア女王の護衛を務め、女王が感謝の印として軍旗を下賜されて正式の軍隊として認可されたという歴史をもつ。もっとも、正式の軍隊といっても、軍事訓練を受けたり戦いに行く事はなく、訓練は儀式の訓練に限られる。隊員も希望してなれるものではない。アソール公爵からの招聘でなれる名誉職で、通常は各自自分の職業をもっているのである。現在の隊員数は200人という。

新キーパーの就任式

新キーパー就任の宣誓式:宣誓しているのはMBD(モリソン・ボウモア・ディスティラー)社のマスター・オブ・モルト、イアン・マッカラム氏。イアンは元MBD社のシニアー・ブレンダーである。
(Picture by Courtesy of The Keepers of the Quaich)

正餐に先立って行われるのが、毎年新たにキーパーに招聘された新任キーパーの就任式である。就任式で名前を呼ばれた新キーパーは、一人ずつ「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」の会長の前に進み出て、そこに置かれたスコッチ・ウイスキーの聖杯であるグランド・クエイヒに右手を置き、キーパーとしてスコットランドを愛し、スコッチ・ウイスキーの発展のために尽力する事を宣誓する。これで、晴れて名誉ある「ザ・キーパーズ・オブ・ザ、クエイヒ」のメンバーになった訳である。

今回は新キーパーが53名、上位のタイトルの名誉キーパーが1名、マスター・オブ・ザ・クエイヒ3名が就任した。名誉キーパーに就任したニコラス・ソームス(Nicolas Soames)卿は、故ウインストン・チャーチルの孫で英国の大臣を何度も務めた方、マスターの3名は、マーチン・ミラー(Marcin Miller)氏がウイスキー・マガジンの初代編集長、マルチーヌ・ヌエ(Martine Nouet)さんは酒類食品ジャーナリスト、ウイスキー・ライター、マイケル・アークハート(Michael Urquhart)氏は、エルギンの老舗ウイスキー・ボトラーでベンローマッハ蒸溜所を所有するゴードン・マクフェイル(Gordon &MacPhail)社の社長である。

ディナー

ディナーの様子:会場のボール・ルームはブレア城の部屋の中で最も広い。壁面は、上部はエステートで集められた多数のアントラーが、その下は歴史的な名画が飾る。

新キーパーの就任式の後, 城内のボール・ルームでのディナーに移る。参加者は231名。当然だが、全員タキシードか民族衣装の正装である。トップ・テーブル(貴賓席)には、主賓や主だったゲスト、ザ・キーパー・オブ・ザ・クエイヒの後援者や要職にある人が座るが、その多くが爵位のある人々で、この辺りは今でも貴族制度がしっかり社会に定着している英国という感じがする。(英国貴族の5等爵の序列は、公、侯、伯、子、男で、以前の日本の貴族制度は明治時代にこの爵位をとりいれた。)

トップ・テーブル以外の18テーブルは丸テーブルで、1テーブル当たり10-14人が着席する。テーブルにはすべて蒸溜所名の名前が付けられている。Highland Park, Pulteney, Macallan, Bowmore, Glenfiddich, Cardhu, Glenrothes, North British, ・・・である。

ハギスの儀:フェア・アン・タイのBill Torranceがロバート・バーンズの詩「ハギスに献ず」を吟じながらハギスにナイフを入れているところ。
(Picture by Courtesy of The Keeper of the Quaich)

ディナーは、進行、儀式、メニュー、エンターテインメントなど、これ以上はないというほどスコットランド流で、卑近に言えば'コテコテのスコティッシュ'である。スコティッシュ・ディナーに欠かせないのはハギス。パイパーの先導で入場してきたハギスは、トップ・テーブルの前に置かれ、フェア・アン・タイ(Fear an Tighe)が「ハギスの儀」を執り行う。フィア・アン・タイは、ディナーの進行を受け持つ、言ってみればセレモニー・マスターであるが、流儀、諸事に通じ、当日のディナーの重要事項や出席者をすべて頭に入れて粗相がないように進行する立派なプロである。

メニューとウイスキー

スコティッシュ・ディナーなので、メニューも飲み物もスコティッシュである。

食事中ワインも供されたが、そこはスコッチ・ウイスキーの団体、キーパーズのディナーだけあって、コースにマッチしたスコッチ・ウイスキーが出された。正確に言うと、厳密に一つのコースに一つのウイスキーという訳ではなく、大体コースの流れに沿ってこの順にウイスキーが出されたと言ってよい。会員の到着時に出されたウエルカム・ドリンクは軽いブレンドのCuttySark。前菜にはオロロソ樽で4年間の長期FinishしたEdradour 12年、複雑でやや甘いが塩気の効いたスモークド・ビーフに合う。ハギスにはフレッシュ、スイートでスモーキーなCaolIla Mock(Mockはゲール語で夜明けの意)。メインの鮭には代表的なスペイサイド・スタイルのThe Glenlivet 18 Year Old, ベリー、オーク、スパイスな香りに、スムースで流れるような口当たりと芳醇な後味が特徴である。デザート・コースには, 15 年のモルトをベースにしたDrumbuie 15であった。

エンターテインメントとトースト

ハイランド・トースト:全員がスコットランド讃歌「Scotland Yet」を歌いながらの乾杯。第一節はフロアーで、第二節は椅子の上に立って、第三節は椅子の上から片足をテーブルに掛けて歌う。

ディナーの間のエンターテインメントはこれまたスコティッシュ・ミュージックで、バグパイプ(ドラムが入るのでPipes and Drumsと呼ばれる)はアソール・ハイランダーズ、それとスコットランド音楽のグループ‘Ceol Alba’。ハープ、ヴァイオリン、フルート、ベースとピアノの編成で全員音楽の専門教育を受けたプロだけあって、曲はスコットランドの民族音楽でもハイレベルの演奏を披露してくれた。歌のソロは、グラスゴーのコンセルヴァトワールでスコットランド音楽を専攻し、もうすぐ卒業するRobyn Stapletonさん。彼女の歌声はしみじみ心を打つものであった。

ディナーの間に何回もトースト(Toast =乾杯)がある。食前の祈り、新任キーパーへの献杯、ハギスを讃える乾杯、女王陛下へのRoyal Toast、そしてクエイヒへの乾杯である。最後は全員によるハイランド・トーストでお開きとなる。

スコッチ・ウイスキーは、プレミアム・ウイスキーの中で世界最大で、現在も世界中で売り上げを伸ばしている。その発展を支えている基本はスコッチ・ウイスキー固有の高品質であるが、「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」のように世界中の影響力のある人々を結集していることがある。その結集力の中心は'丸ごとのスコットランド文化'であるが、それを上手く組織化する英国人の力量には脱帽する。主賓のニコラス・ソームスはスピーチで述べた。「キーパーズ・ディナーの規模と威厳に非常な感銘を受けた。スコッチ・ウイスキー産業は驚くべき世界産業でこれから学ぶことは多い。「ザ・キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」の存在は、スコッチ・ウイスキー産業が常に挑戦心をもち続けていることを証明している」。

参考資料
1.The Keeper Magazine, Summer 2012
2.Maria Costantino, Clans & Tartans of Scotland, King Books, 2012
3.日本人ブルーバッジ開度共著.「公認ガイドが語るスコットランドこぼれ話」, Bell & Bain Ltd, Glasgow 2012
4.http://www.keepersofthequaich.co.uk/
5.http://www.buxrud.se/whisky.htm
6.http://www.blair-castle.co.uk/castle_history_evolution.cfm
7. http://en.wikipedia.org/wiki/Scottish_Baronial_architecture
8. 'Scotland yet' by Robin Williamson (http://www.youtube.com/watch?v=85THuC_ljTc)