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稲富博士のスコッチノート

第34章 オークニーとスキャパ蒸溜所を訪ねて-その1

スコットランド北方の島オークニーを訪ねた。もう3度目の訪問になるが、この島の持つ独特のおどろおどろしい雰囲気、自然、歴史、文化に惹かれたのと、最近新装されたスキャパ(Scapa)蒸溜所を訪ねるのが目的である。オークニーの魅力とウイスキーを2回にわたってご紹介します。

地理

オークニーは、正式にはオークニー諸島(Orkney Islands)と呼ばれ、英国本土北端ジョン・オグロートの沖合い約16kmから北にある70近くの島々からなる。北緯58-59°にあり、夏至には日の出が3時で日没が21時半、1日中暗くなる時がないが、冬にはこの反対になる。メキシコ湾流の影響で緯度のわりには温暖で、平均気温は冬が4℃、夏が 12℃である。地形は平坦で全くと言って良いほど木が生えていない。かっての森林が消滅したのは気候変動と、新石器時代以前の人間による伐採が主因といわれているが、強い風を遮ることがない地形とピート層の酸性土壌も木の育たない原因である。 面積約990平方km、人口は19,000人余、スコットランドで一番小さな行政区域で、政府関係の機関は、オークニー本島のカークウォール(Kirkwall)に置かれている。

オークニーへの道

ノースリンク・フェリー:スコットランド本土北端のスクラブスター(Scrabster)とオークニー本島のストロムネス(Stromness)を1時間半で結ぶ。大型のフェリーだが、この辺りの海は荒海で知られ、割合穏やかな日でも通路を歩くとフラフラする。

グラスゴーからオークニーへは、飛行機なら1時間少々だが、今回は現地での移動手段を考えて車で行くことにした。インヴァネスまで約3時間半、インヴァネスから約1時間のブローラ(Brora)を過ぎると道は片側1車線の曲がりの多い道になり、オークニーへのフェリー乗場のスクラブスターまで更に1時間半を要する。フェリーの航海時間は1時間半だが出航の1時間前にはフェリー乗場に着く必要があるし、途中の休憩を入れるとオークニー本島のストロムネスまで 9時間以上の旅になった。途上の景観は変化に富んでいるので、お天気がよく時間に余裕があると楽しい。

古代遺跡

ステネス(Stenness)のスタンディング・ストーン:この紀元前3100年の環状石柱は、宗教的な行事や時節を知るために使われた。リングの直径は44m、最初は12本の石柱があったが今は4本だけが残っている。

オークニーに独特の魅力を与えているのは、現在に残る豊富な歴史遺産、特にユネスコの世界遺産にも指定されている‘新石器時代オークニーの遺跡群'である。5000年前の新石器時代遺跡群には、ブロガー(Brogar)とステネス(Stenness)の環状石柱群、メース・ハウ(Maes Howe)の墳墓、スカラ・ブレー(Scara Brae)の集落跡などがある。その他にもオークニーにはこの時代の多くの住居跡、石塚、石柱、貝塚等が残されていて、これらの遺跡から発掘される石器、土器、人骨、動物の骨、植物や食物の残渣などの資料は豊富で、オークニーは考古学研究の上で非常に重要な地位を占めている。これらを残した先住民は、狩猟、漁業、採集に加えて牛、羊、豚を飼い、大麦や小麦を栽培していた。

ノースマン(Norseman)

聖マグナス大聖堂:12世紀はじめにオークニーを統治したマグナス伯爵はその善政で知られていたが、陰謀によって殺害された。後に聖人に列せられ、カークウォールのこの大聖堂は彼の遺徳を偲んで12世紀に建設された。ノルマン建築の傑作。

オークニーの町を歩くと、町の雰囲気がスコットランドと違い、北欧のそれに近い。土産物屋で売っているセーターはスコットランドというより北欧の柄だし、小物もバイキング由来の模様が多く使われているからだろう。それというのも、9世紀から13世紀までオークニーを支配したのはノースマン(Norseは、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンなどを表す形容詞)で、オークニーにやってきたのはノルウェーのバイキングであった。造船と航海技術に優れ、スコットランド西部からアイルランド、フランスのノルマンディーまで支配した彼らにとって天候さえ良ければ2-3日で到着できるオークニーは前進基地をおくのに便利だった。13世紀からオークニーはスコットランドの貴族が統治するが、この統治者の任命者はノルウェー王であり、スコットランド王がオークニーを完全に支配するようになったのは15世紀になってからであった。

ノースは支配だけでなく相当数がこの地に定住した。オークニーの多くの地名、人名、オークニー英語のアクセントはノルウェー語に由来し、又最近の研究でオークニー男性の3分の1はノルウェー西部の男性と同じY染色体を持っていることが分ったそうである。オークニーの住人は今でも自分達のことをオルカディアン(Orcadian)と呼び、スコットランド人とは一線を隔している。オルカディアンは控えめな性格といわれ、我々がスコットランド文化のシンボルと思っているタータンやバグパイプをオークニーの人は‘あれはスコットランド本土の伝統'と考えている。オルカディアンとは、ローマ人がこの地を ‘Orcades'と呼んだことに由来する。

ベアー(Bere)

収穫直前のベアー(Bere):古いタイプの春撒き6条大麦である。実の付き方がまばらで収量が低く、毎年栽培されているのはオークニーだけになった。

オークニーの食品:オークニービール、チーズとバノック(ベアー大麦からつくるパン)。バノックは暖めてオークニーバターとチーズで食べる。小麦のパンの弾力的な食感はなくもさもさしているが、すこしスモーキーな香りと麦茶のような香ばしさがあり美味しい。

バロニー・ミル(Barony Mills):1873年に建てられたこの製粉所はまだ動力に水車を使ってベアーを挽いている。今はバーセー地区のトラストが運営している。

ベアーは古い6条大麦の品種である。この‘栽培作物の遺産'といわれているベアーは、病害虫に強く、スコットランドの寒冷で短い生育適期でも収穫できるため、20世紀までは全スコットランドで広く栽培され、ビールやウイスキーの原料として使われていたが、その後近代的な品種の開発にともなって次第に姿を消していった。ベアーの反収は近代的な大麦に比べると50%少々しかなく、穀粒は蛋白が多くてビールやウイスキーになる醗酵性のエキス分が少ないためである。

大麦に限らず、麦類の発祥地は中近東のイスラエルから、レバノン、シリア、イラク、を経由してイランに至る‘豊穣の三日月地帯'といわれている。ここを発した原始大麦が、どのような経過で栽培植物化してベアーになり、どのような経路でいつオークニーにやってきたか良く分かっていない。ベアーの原産地はエチオピアという説とイラクだという説があるが、8世紀にバイキングが来た時期にオークニーで栽培されていたことは確実である。ベアー(Bere)の語源はノルウェー語の大麦のビッグ(Bygg)なので、北ヨーロッパ経由説は相当説得力がある。ベアーがオークニーに到来した時期はもっと早く、数千年前にスカラ・ブレーでは人々は食物としただけでなく、これでビールをつくったという説もある。なんだか“弥生人は赤米で酒をつくっていた"という感じの話しで夢があるが、充分な検証は未だのようである。

ベアーは、今はオークニーだけで細々と栽培され、バノック(Bannock)というパンの原料になっている。バノックは独特の風味があり、初めて食べるとややとっつき難いが、オークニー人は長年主食だったバノックに執着があり、いまでも食べ続けている。

オークニーで栽培・収穫されたベアーは、バーセー(Birsay)にある古い製粉所バロニー・ミルに運んで乾燥し製粉する。乾燥用のキルンは蒸溜所にある麦芽乾燥用のキルンと同じ造りで、燃料にはベアーの籾殻を燃やす。ベアーの粉に少し煙くささがつくのはこの為である。製粉には今でも水車を動力にした石臼が使われている。

ベアー・モルト・ウイスキー

最近20-30年間の大麦の品種改良には目覚ましいものがある。1950年に1ヘクタール当たり2.6トンだった反収は2000年には5.8トンと倍以上に* 、1トンの麦芽から出来るスピリッツ(アルコール分)の収率は350リッター** から460リッターと、約30%上昇した。効率の向上は望ましいが、それではこのような高収率大麦に対して、低収率品種のベアーでウイスキーを造ってみるとどんな香味になるだろうか。十数年前に、エジンバラのウイスキー・マーチャント、クーブレ氏がこの課題に挑戦してごく少量のベアー・モルトを蒸溜したが、最近キャンベルタウンのスプリングバンク蒸溜所と、アイラのブルイッヒラディッヒ蒸溜所がより大規模にベアーを栽培、製麦して蒸溜した。まだテースティングする機会に恵まれていないがぜひ一度味わってみたいと思っている。

1. Orkney. Liv Kjorsvik Schei, 2000, Colin Baxter Photography Ltd.
2. Orkney Islands :Wikipedia-The Free Encyclopedia
3. Prehistoric Scotland :Wikipedia-The Free Encyclopedia
4. http://www.scrol.gov.uk/
5. Heart of Neolithic Orkney :UNESCO World Heritage Centre
6. Agronomy Institute
7. Barony Mills, Birsay, Orkney, a working watermill
8. Orkney Food :BBC.co.uk
9. Orkney Bere Biscuits
10. Improvement in Scotch Malt Whisky Spirit Yield through the 20th Century. Tim Dolan, in http://www.greencoremalt.com/brb/index.htm
11. Small Bere :Bruichladdich.com

*英国全体で収穫されたビール用、飼料用全ての大麦を含むデータで、ウイスキー用だけではないが、傾向は同じと思われる。データはDefraから入手。

**麦芽は水分0%に換算。