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稲富博士のスコッチノート

第28章 モレイ(Moray)地方とウイスキー

スペイ川が注ぎ込むモレイ湾の南岸は、東はアバディーン(Aberdeen)州の北部から西のインヴァネス(Inverness)まで東西約150kmにまたがり、18のモルト蒸溜所(休止している3蒸溜所を含む)がある。東からデヴェロン(Deveron), ロッシー(Lossie), フィンドホーン(Findhorn)各地区に細分化されているが、ウイスキーは‘スペイサイド・モルト'に分類されている。この地方もスコッチ・ウイスキーにとって非常に重要なエリアである。

ウイスキーの首都:エルギン(Elgin)

エルギンの大聖堂跡:大聖堂はかって枢機卿座の地位にあり、セント・アンドリュースの大聖堂に次いでスコットランド第二の規模であった。16世紀の宗教改革の後放置され大部分が損壊した。

ロッシー川(River Lossie)沿いのエルギンは古くからこのモレイ地方の中心都市であった。11世紀には城が築かれ、13世紀に王室の直轄タウンになると枢機卿座が置かれた。その後中世期には、幾多の戦乱や宗教改革の混乱で衰退したが、19世紀には鉄道がエルギンとスコットランドの他の主要都市を結び、町は大きく発展した。現在の人口は約2万人、古い建造物が残り、中世風の雰囲気を残した良い町である。

エルギンは「ウイスキー・キャピトル」と言われるが、その理由は市内、近郊に10のモルト蒸溜所がある事に加えて、ウイスキー最大手の会社が、モレイ地方、スペイサイド、ハイランドの蒸溜所や製麦工場を管理するセンターを置いている事、有名ボトラーの本社がある事等による。

大麦と麦芽の大産地

収穫期をむかえた大麦:アバディーンからインバネスにかけての沿岸地方は大穀倉地帯で、中でも大麦の生産が盛んである。大麦畑の向こうには大麦から麦芽をつくる製麦工場が見える。

モレイ湾岸バッキー(Buckie)の製麦工場:グリーンコア社のこの製麦工場は、製麦技術の最先端技術を採用し、大麦の浸漬、発芽、乾燥まで1つの槽内で行われる。1バッチの能力は500トンで、その生産性は蒸溜所のフロアー・モルティングの100倍以上である。

モレイ湾岸のウイスキーにとっての重要性は、1つにはエルギンを中心として東西に多くのモルト蒸溜所があることであるが、その2はこの地方が原料となる春蒔き2条大麦の大産地である事、そして3番目にはこの大麦を麦芽に加工する大規模な製麦工場が5工場も集中している事である。

スコットランドの気候は、夏が短く寒冷、収穫期の8月から9月にかけてよく雨と強風が来て大麦栽培の条件は南のイングランドに比べると良いとは言えない。長年スコットランドで栽培されていた大麦は、この不利な条件でも育つベア-(Bere)種であるが、反当り収量やエキス分(醸造成分)が低く、イングランドで栽培される近代的品種にとても太刀打ち出来なかった。この為1960年代まで、モルト・ウイスキー用の麦芽は主としてイングランドから大麦や麦芽を輸入してまかなわれていたのである。

現在はスコッチ・ウイスキー用の大麦は、スコットランド内で栽培、製麦するスコットランド内の自給がほぼ可能になっているが、この背景には2つのことが上げられる。その1は、1960年代にスコットランド気候条件に適した新優良品種‘ゴールデン・プロミス(Golden Promise)'* が開発されたこと、もう1つは、このゴールデン・プロミスに着目して、これをスコットランドで栽培、製麦し蒸溜所へ供給しようというベンチャー・ビジネスマンの挑戦であった。

イングランドのある大手製麦会社の社員数人は、スコットランドの大麦をスコットランドで製麦することで、イングランドからの物流費の節減が達成できるとして、このベンチャーを社内提案したが、会社に受け入れられなかった為、‘それなら自分でやろうと'会社を飛び出してインヴァネスに工場を建設した。ベンチャーは成功し、その後この提案を拒否した会社をはじめ、英国の大手製麦会社はスコットランドで製麦することの有利さを認め、続々とスコットランドに工場を建設した。この大半はモレイ湾沿いにある。

モレイの蒸溜所

ミルトンダフ蒸溜所:エルギン郊外のミルトンダフ蒸溜所はバランタインの主力工場で、バランタイン・ブレンデッド・ウイスキーのコアになるモルトを蒸溜している。

グレンバーギー蒸溜所の新蒸溜室:新旧混在といわれた蒸溜所は2004年から全面的に改装工事が行われ、本年5月に完工、明るくモダーンな蒸溜所に生まれかわった。トップ・クオリティーのモルトにさらに磨きがかかる。

ダラス・デュー蒸溜所博物館:蒸溜所は20年前に閉鎖されたが、蒸溜所全体が博物館として保存され、一般公開されている。半世紀前に主流だった設備がよく保存され、当時のモルトつくりがよく理解できる。一見の価値がある‘穴場'。

ミルトンダフ蒸溜所
エルギンの西方約8km、広大な大麦畑の中にあり、良質で豊富な水に恵まれている。蒸溜所の西2kmには13世紀に創建されたプラスカーデン(Pluscarden)修道院があり、蒸溜所はかってその寺域にあった製粉所の跡に建っている。水は傍らを流れるブラック・バーンから引いているが、水源は修道院横の泉である。ミルトンダフ蒸溜所は非常に近代化された大型モルト工場で、年間約6,000klのモルトが蒸溜可能である。モルトのフレーバーは、‘花様、フルーティ-、乾しぶどう様、甘い感じ、やや穀物様、スパイス、新鮮な草様'と表現され、バランタイン・ブレンドの中核をなしている。

グレンバーギー蒸溜所
エルギンの西約10km、インバネスに向う幹線道路A-96号線を山手にすこし入ったところ、周囲を麦畑に囲まれ、北にモレイ湾を見下ろす高台にある。蒸溜所の歴史は古く1810年から存続している。長い歴史の間に何度も改装が行われ、クラッシックとモダーンの混合と言われていたが、今年の6月に大幅な改造が行われ近代的な蒸溜所に一新した。
グレンバーギーは、ほぼ全量がバランタインのブレンドに使われてきた為、シングル・モルトとしての知名度は低いが、その品質の高さは業界では良く知られ、スコッチ・モルトのトップ・クラス10に入ると評価されている。“フルーツ、柑橘果実の活き活きした香り、トフィーや砂糖菓子の重い甘さ、複雑で奥行きのある風味"は、正に第一級モルトの評価に相応しい。ミルトンダフと並んでバランタイン・ブレンドのコアとなっている。

ダラス・デュー(Dallas Dhu)蒸溜所
少し変わった蒸溜所と御紹介する。ここは今はモルトを作っている蒸溜所ではなく、蒸溜所全体が博物館として保存、公開されているところである。元の蒸溜所は1898から99年にかけて建設されたが、以後所有者の変更、不況や戦争、蒸溜室の火災等多くの苦難に遭遇した。1970-83年までは順調に操業を続けたが、83年にオーナー会社の蒸溜所合理化策により閉鎖された。
ダラス・デュー蒸溜所にとって幸運だったのは、蒸溜所がスコットランドの歴史遺産の保護に当っている政府機関のヒストリック・スコットランド (Historic Scotland)の手に渡ったことである。これは、その頃からスコッチ・ウイスキー産業がスコットランドの歴史・文化遺産として非常に重要であるという認識が高まり、19世紀末の蒸溜所の形をよく残しているダラス・デュー蒸溜所が保存の対象となった。今は、‘蒸溜所博物館'として保全され一般公開されている。蒸溜所を回ると、フロアー・モルティング、古いマッシュタン、木桶の醗酵槽、1ペアだけの蒸留釜、鋳物で作られたタンク類、蒸気エンジンで走る消防車等、当時の蒸溜所の様子がよく分かる。見学絶対お勧めの隠れた蒸溜所である。

カロードン(Cullorden)

カロードンの古戦場:戦争は1746年4月16日にスコットランドのジャコバイト軍と英政府軍との間で戦われた。ジャコバイト軍はこの旗のもと、右下の道のラインに展開していた。

モレイをめぐるウイスキーの旅の最後に、インヴァネス近くのカロードンの古戦場に立ち寄った。ここは、1746年4月16日に英国本土内での最後の内戦が戦われたところである。スコットランドとイングランドの関係は、1606年の両国王室の統合、1707年の議会の統合の後も、政治権力と宗教をめぐって激しい混乱が続いた。スコットランドのスチュアート王朝の末裔でローマやフランスに亡命していたプリンス・チャールス・スチュアートはスコットランド王国の再興を画し、1745年密かにスコットランドに戻って政府に対して挙兵した。スチュアートの呼びかけに呼応したハイランドの部族兵(ジャコバイトといわれる)を率いたチャールスは、緒戦は連戦連勝、イングランドのダービーまで攻め上ったが、戦局が変わるとスコットランドへの撤退を余儀なくされ、このカロードンで最後の決戦に臨んだ。

時のイングランド王ジョージII世の息子で、勇猛・残忍で鳴るカンバーランド公爵に率いられた政府軍9,000人は、装備、経験、補給に抜かりなかったのに対し、チャールスのジャコバイト軍は5,000人、装備は劣悪、食料にも事欠き、指揮系統の乱れもあってとても勝ち目は無かった。戦闘開始から1時間以内で決着がつきジャコバイト軍は敗走した。

この戦いの後、政府によるハイランドへの締め付けは苛烈を極め、ハイランドの人々の生活様式、文化は一変した。このことは又次回でも触れたいと思います。(了)

1.Greencore Group
2.www.undiscoveredscotland.co.uk/forres/dallasdhu/
3.Historic Scotland
4.BBC -History
5.Culloden. The National Trust for Scotland. 2003.

* 醸造用大麦市品種の変遷は早く、数年以内に新品種に置き換わっている。1960年-70年代に盛んに栽培されたゴールデン・プロミスは、その後チャリス(Charis) やオプティック(Optic)に入れ替わったが、いくつかの蒸溜所は品質上の理由でゴールデン・プロミスを使用している。