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稲富博士のスコッチノート

第127章 Glen Garioch蒸溜所

写真1. グレンギリー蒸溜所の全景:左から仕込み、発酵、蒸溜が入っている生産棟、麦芽の乾燥塔(キルン)、手前の低層の2階建ての向こう側が大麦の貯蔵とフロアー・モルティングの建物である。

Glen Garioch(グレンギリー、Gariochは‘Geery’と発音する)蒸溜所はアバディーンの北約30㎞のオールドメルドラム(Oldmeldrum)の町にある。町の東側にはアバディーンからエルギン(Elgin)を経由してインバネスに至るA947 号線が走っているが、多くの車は町の存在に気付かないまま通過してしまう。町とその周辺には青銅器時代から中世を経て現在に至る遺跡が多いが、現在は農業と北海油田関連のエンジニアリング会社が産業の中心で、人口は約3,000人である。

蒸溜所の歴史

1794年創業のグレンギリー蒸溜所は、現存するスコッチモルト蒸溜所の中で最も古い蒸溜所の1つである。因みに、古い順番に列挙してみると、グレンタレット(Glenturret, 1775年)、 ボウモア(Bowmore, 1779年)、ストラスアイラ(Strathisla、1786年)、バルブレア(Balblair, 1790年)、 オーバン(Oban, 1794年)、グレンギリー(Glen Garioch, 1797年)となる。

歴史の長い蒸溜所なので出来事は多い。その主なものを列記する。

1797年:ジョンとアレキサンダー マンソン(John &Alexander Manson)が創業。

1825年:マンソンは蒸溜所をIngram, Lamb &Co.に売却。

1837年:創業者のJohn Mansonの次男、John Manson Jr.が蒸溜所をIngram, Lamb &Co.から再購入。

1844年:John Manson Jr.に次男Patrick Mansonが生まれる。Patrick Mansonはフィラリア症が、蚊が媒介する線虫によって引き起こされることを発見している。彼はマラリアも蚊が媒介するのではないかという仮説を立てていて、これは後年彼と交流があったDonald Rossが、マラリアのライフ・サイクルには蚊による媒介が存在する事を検証した。Rossはこの業績によって1902年に英国人として最初のノーベル賞(医学・生理学賞)を受賞している。Patrick Mansonは、ノーベル賞は受賞していないが、熱帯病の父と言われている。

1884年:会社はLeithのブレンダーJ. F. Thomsonへ売却された。

1886年:J. F. Thomsonは株の半分をWilliam Sanderson & Sons Ltdへ売却。William SandersonはVAT69ブレンデッド・ウイスキーで成功をおさめ、ブレンド用のモルトを確保したかった。以来、Glen GariochのモルトはVAT69の中核モルトとなった。Sandersonは1887年から操業を開始したNorth British Grain Distilleryの社長も務めている。

1887年:Alfred BarnardがGlen Garioch蒸溜所を訪問。蒸溜所のオーナーはIngram, Lamb &Co.と記している。この社名は1837年にManson Jr.が実際のオーナーになってからも存続していたと思われる。

1901年:蒸溜所は大幅改装され、現存するフロアー・モルティングとキルンは当時蒸溜所の設計で名を馳せたCharles Doigが設計した。

1917年―1918年:1914年から始まった第1次世界大戦の戦費調達とウイスキーの消費抑制の為、時の英国総理大臣のロイド・ジョージがスコッチ・ウイスキーへの課税強化。

1920年-1933年:アメリカ禁酒法。

1921年:William Sanderson & Sons Ltdは, J. F. Thomsonが所有していたGlen Gariochの50%の株を買い取り100%を所有。

1929年―1933年:大恐慌。

1935年:Booth‘s Distillers Ltd がWilliam Sanderson & Sons Ltdを併合。

1937年:DCLがBooth’s Distillers Ltdを買収。

1919年―1945年:第2次世界大戦。1941年―1942年はごく僅かの操業に留まり、1943年には休止。Glen Gariochの製麦棟は接収されて兵舎になった。

1949年:蒸溜再開。しかしながらフル生産まで回復したのは1960年シーズンであった。

1968年:宿痾の水不足問題もあってGlen Gariochは操業を休止。

1970年:Stanley P. Morrison社が蒸溜所を購入し、操業を再開。ビジネスはモルトをブレンド用にブレンダーに販売することで、シングルモルトを製品化することは考えていなかった。Stanley P. Morrison氏はやはりブローカーで、自社製品を持つことは顧客のブレンダーの利益と相反するとして否定的だった。

1971年:Stanley P. Morrison氏死去。

1972年:水問題は、質、量とも深刻だったが、この年Couten Farmに新しい泉が見つかり解決された。

1977年:高騰するエネルギー費を削減するため省エネ・プロジェクトが発足。蒸溜のコンデンサーにTVR(Thermal Vapour Recompression、蒸気再圧縮)を導入し、蒸溜に必要なエネルギーを大幅に削減した。又、余剰の温水でGreen House(温室)を温め、トマトを栽培し、一時年に200トンを出荷する迄になった。

1993年:Green Houseを中止。蒸溜所の操業と、Green Houseが必要とするエネルギーが一致しなくなったためである。

1994年:サントリーがStanley P. Morrison社を買収。

2001年:フロアー・モルティングを閉鎖。自社製麦のピーティーなモルトを蒸溜した最後の年になった。

2006年:旧樽修理場をビジター・センターに改修しオープン。

2009年:Glen Garioch モルトのビジネスを、バルク販売からシングルモルト製品に転換。

2021年:Prince Charles(現英国王)Glen Garioch蒸溜所を訪問。

2022年:蒸溜所の大幅改装が完了し、操業を再開した。フロアー・モルティングと初溜釜の直火蒸溜を復活させた。

写真2. Glen Garioch蒸溜所を訪れたPrince Charlesと蒸溜所のスタッフ:蒸溜所は2021年10月5日にPrince Charles来訪の栄を賜った。蒸溜所の創始者のJohn Mansonの末裔のSandy Mansonはアバディーン州のLord Lieutenant(嘗ては、王の命で地区の市民軍を組織する職責を担ったが、現在はその地区の英王室の名代で、王室のメンバーがその地区を訪問される時には、旅行の手配やエスコート役を務める)で、Charlesがアバディーン州の視察をされた時に同行し、自分の祖先が創業したGlen Garioch蒸溜所にご案内した。

改装後のGlen Garioch蒸溜所

新装なった蒸溜所の現況は下記の通りである。

フロアー・モルティング

フロアーでの発芽に先立って、浸麦槽(Steep)で大麦に水分を与える。大麦を水中に漬けておくWet steepを12時間、水を抜いて空気に触れさせるDry steepを10時間、Wet12時間、Dry 10時間、Wet 6時間、Dry4時間の合計54時間のプログラムで、大麦の水分を約43%にしてから発芽床へ移す。
発芽が終了した大麦(Green maltと呼ばれる)は乾燥塔(Kiln)に上げ、最初は50℃の温風で8時間、次いで温度を60℃にして8時間、更に温度を75℃にして6時間、最終は温度を60℃にさげて6時間ほどかけて冷却する。合計で28時間を要する。

写真3.再開されたフロアー・モルティング:1バッチ当たり11.6トンの大麦が使用される。フロアー・モルティングの温度調節は窓の開け閉めと発芽層の厚さの調整と‘返し回数’(Turn)くらいで難しい。発芽日数は気温の高い時は5日くらい、真冬で低温の時は7-8日を要する。

乾燥の終わった麦芽は根っ子を取り除いてからサイロで保管する。元の大麦11.6トンから約10トンの麦芽が出来上がる。蒸溜所が必要とする麦芽の約25%は自家製麦でまかなえる。

写真4.麦芽乾燥の為の旧燃焼炉と左に見えるラジエーター:ラジエーターは空気を蒸溜釜のコンデンサーから出る温水で温めて温風をつくる熱交換器である。所定の温度の温風はキルンの麦層の下から吹き込んで麦芽を乾燥させる。旧燃焼炉はピート燃やすのに使われたが、Glen Garioch蒸溜所は町中にあり、ピートの煙は公害になるので今は使われていない。

仕込み

1仕込み4トン(自家製麦の麦芽1トンと製麦会社から購入した麦芽3トンをブレンドして使用)を標準的なポーシャス(Porteus)ミルでフラワー(Flour)10%、グリッツ(Grist)70%、穀皮(Husk)20%に粉砕する。粉砕麦芽は前回の仕込みの3番麦汁で仕込み、1番麦汁の濾過が進んで液面が麦層のすこし上にまで下がると温水のスパージ(噴霧)を開始し2番麦汁の採取を始める。この1番と2番は冷却して発酵槽へ送る。所定量の2番麦汁を取り終えても次回の仕込みに使う3麦汁を必要量採るためスパージは継続する。1仕込みから発酵槽に送られる麦汁量は20,500リットル、糖度は約15%である。

写真5.仕込槽:ステンレス製で、攪拌機が上下に位置調整できるフル・ラウタータイプである。粉砕麦芽は粉砕麦芽ホッパーから左側上部に見えるコンベアで供給されて、下のマッシング・マシーンで温水と混合されて仕込槽へ入る。

発酵

容量30KLのステンレス製の発酵タンクが9基あり、各20.5KLの麦汁を発酵させる。酵母にはウイスキー用の乾燥酵母を使用し、発酵時間は72時間、発酵終了醪のアルコール度数は8%である。

蒸溜

2022年10月に改造が完了し操業を始めたGlen Garioch蒸溜所の主たる改造点は、フロアー・モルティングの再開と蒸溜工程の初溜釜に直火加熱を再導入したことである。ご存じのように、現在スコットランドには140以上のモルト蒸溜所があるが、この内直火加熱で蒸溜を行っているところは、Glenfiddich(第2蒸溜室)、Glenfarclus、Springbank(初溜釜)と今回の改造後のGlen Garioch(初溜釜)の4か所だけである。直火加熱は蒸気加熱に比べて、設備費、メンテナンス費用、燃料費、操作性、火災リスクに劣るがそれでも直火を使う理由は出来るスピリッツの品質に違いがあることによる。直火で蒸溜されたスピリッツは、パンを焼いた、砂糖菓子、カラメル、焦げ臭、チョコレート、スミレ等と表現される複雑な香味があり、蒸気加熱と比べて明らかに異なると言われている。

実際にGlenfarclus蒸溜所では1980年代に1度、1組のポット・スティルを蒸気加熱にする実験を行っているが、蒸気加熱と直火加熱では得られたスピリッツに明らかに差があったので、元の直火に戻したという経緯がある。

なぜ、違いが出るかは十分には解明されていないが、直火で加熱すると釜内面の液に接する部分の温度が高く、初溜では醪成分中の残糖、蛋白、アミノ酸、酵母菌体等の反応が促進されて、複雑な香味成分が増すと考えられている。その他にも、釜の接液部分の温度が場所や時間で刻々変化し、スーパー・ヒートされる個所がある。反応の度合いは麦汁の清澄度や、酵母の種類、発酵時間、醪の酸度やpHにも左右されるので、何が起こっているかの解明は容易ではないと思われるが、これが又モルトウイスキーの謎でもあり、面白さでもある。
尚、一般的には直火加熱は蒸気加熱より熱効率が悪いが、新Glen Gariochでは回収される熱水・温水を回収タンクで温度別に3層に分け、温度に適した再利用をしているので、生産されるスピリッツ1LPA (Liter of Pure Alcohol)当たりの熱効率は旧プラントに比べて15%改善し、同時に水の使用量も半減した。

Glen Garioch蒸溜所の蒸溜は、初溜の張込み量は20.5KL、サイクルタイムは8時間でアルコール分23%の初溜液7,000Lを得る。再溜は、初溜液7,000Lに前回の余溜液6,000Lを加えて蒸溜し、69%の本溜液2,400Lが得られる。年間の生産能力は、操業度によるが2,000KLA程度と思われる。

写真6.Glen Garioch蒸溜所の蒸溜室:蒸溜釜は2基で、手前が初溜釜で奥が再溜釜である。直火で加熱される初溜釜は、蒸溜中に醪中の非揮発成分が焦げ付かないように、ラメジャー(rummager=回転攪拌機)と言われる銅製の鎖帯をゆっくり回転させるが、初溜釜の手前に見えるモーターはこのラメジャーを駆動するためのものである。

貯蔵

蒸溜所内の貯蔵能力は樽数千丁しかないので、出来たニューメイクの大半はBeam Suntory UKの貯蔵庫があるローランドに送られる。貯蔵樽は主としてバーボン樽であるが、シェリーウッドでも熟成される。

場内の貯蔵庫に前述した現英国王Charlesが来訪された時に、蒸溜所が献呈した樽が置かれている。

写真7.Charles国王の樽:CharleeというサインとOctober 5th 2021の日付がある。樽はバーボン樽で、地べたが露地の輪木積みの貯蔵庫に置かれていた。

尚、樽の鏡には樽の出自が分かる元のバーボンが樽詰めされた時の記録が残されていた。
Jim Beam Brands Co
Bourbon Whiskey
D-160P DSP KY 230
RC 53G
B16L05
TANK 224

Jim Beam Brands Co(社名)とBourbon Whiskey(種類)は明確だがそれ以下は次のようになる。D-160Pはこの樽に入っているスピリッツが160proof(80%)以下で蒸溜されたものである事、DSP KY 230のDSPはDistilled Spirits Plant(蒸溜所)、KY 230はKentuckyの免許番号230の蒸溜所のコードで、実名ではKentuckyのボストンにあるBooker Noe Distillery)である事を示す。RC53Gは樽種でRated Capacity(RC=みなし容量)が53G(53ワインガロン≒200L)の樽であること、B16L05のBはBourbonで、16は2016年を、Lは12月(Aが1月、Bが2月と月が進むとアルファベットが下がって行く)を、05は日付で、この日に樽詰めされたことを示している。TANK 224は、樽詰めされたバーボン・スピリッツが入っていたタンク番号である。

Glen Garioch蒸溜所の知名度は長年他の古い蒸溜所に比べると低かったが、その理由は、第1にその立地がAberdeen州の外れのOldmeldrum にポツンとあり、SpeysideやIslayのような名の通った地域でなかったことと、モルトはずーっとブレンド用に使われていて表に出なかったことによる。シングルモルトが発売されたのは今世紀になってからで他の著名シングルモルトに比べると50年は遅れたスタートだった。新Glen Gariochはフロアー・モルティングと初溜釜の直火蒸溜の復活というクラッシクでこじんまりした蒸溜所としての立ち位置もはっきりした。今後の発展が期待される。

謝辞:今回の執筆に際して蒸溜所訪問時の案内や多くの情報の提供をいただきましたGlen Garioch蒸溜所ManagerのMaliri氏、Visitor CentreのPon Nijs氏、Beam Suntoryの福田 保司氏、佐藤 元氏に厚く御礼申し上げます。

  • 参考資料
  • 1. Moss, Michael S. and Hume, John (1981). The Making of Scotch Whisky, James & James Cockburnhill House, Balerno, Midlothian, Scotland.
  • 2. Buxton, Ian (2014). But the Distilleries Went On. The Morrison Bowmore Story. Neil Wilson Publishing Ltd
  • 3. Single Malt Scotch Whisky - Highland Whisky - Glen Garioch
  • 4. Oldmeldrum - Wikipedia
  • 5. Patrick Manson - Wikipedia
  • 6. Mosquito-malaria theory - Wikipedia
  • 7. Why some distilleries use fire-heated stills | Scotch Whisky
  • 8. Distillery Map (scotch-whisky.org.uk)