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稲富博士のスコッチノート

第60章 エリスケイ-ウイスキー・ガロアの島

エリスケイ

アウター・ヘブリディーズ

スコットランド本土の北西部から数十キロ沖合の大西洋に、240kmに及んで細長く繋がる列島がある。アウター・ヘブリディーズ(Outer Hebrides)又はアウター・アイランズ(Outer Islands)といわれる。この島々の最南端近くにエリスケイ(Eriskay)という小島がありこれが本章の舞台である。アウター・ヘブリディーズの120もの島々にあって何の変哲もない島であるが、この島で起こった2つの出来事がこの島を歴史に残すことになった。その1つは、1745年にスコットランド王朝の復興を懸けて亡命中のボニー・プリンス・チャーリーがフランスからこの島に到着したこと、2つ目が本章のテーマになる1941年の貨物船ポリティシャンの座礁事件である。

南ウイスト島から見たエリスケイ島:この二つの島は2001年に完成した埋立て道路で結ばれている。手前の鉄格子は牛や羊が渡れないように設置されている。ポリティシャンは島影の左方の海峡で座礁した。

エリスケイは、ヘブリディーズ南端の南ウイスト(South Uist)とバラ島(Barra)の間にある南北約4km東西約2.5kmの小島であるが、2001年に海を埋め立てて建設された道路で南ウイスト島と繋がっている。人口はわずか130人余で小規模農業と漁業が産業である。コミュニティーの宗教はカトリックである。

マリア像:エリスケイやその南のバラ島はカトリックのコミュニティーである。この像はエリスケイの古い教会があったところに立つ。1917年、ポルトガルのファティマで3人の子供に現れたマリアを象っている。まるでスペインかイタリアに来たような感じだった。

ポリティシャン号(SS Politician)

ポリティシャン号(SS Politician):1923年に建造された8000トンの貨物船。第二次世界大戦中の1941年、アウター・ヘブリディース南端近くのエリスケイ島で座礁。積んでいた22,000ケースのウイスキーをめぐる大騒ぎで歴史に名を残すことになった。

1941年の英国はドイツとの戦争でまさに苦境にあり、国を挙げて英国本土の防衛に当たっていた。その英国の戦争遂行能力はアメリカの支援に大きく依存しており、多くの商船が大西洋を行き来して物資を運んだ。英国商船ポリティシャン(以下号を省く)もその一隻である。

1923年の進水。発注した海運会社ファーネス・ウィシィ社(Furness Withy & Co.)はこの船をロンドン・マーチャント(London Merchant)と命名したが、1935年にトーマス・ジェームス・ハリソン社に売却され、新しい船主は船名をポリティシャン(SS Politician)に変更した。蒸気タービンで駆動されるこの8,000トンの貨物船は14ノットを出すことが出来た。このスピードは経済スピードでは無かったが、航海日数の短縮でより多くの貨物を運ぶ事が出来たし、戦時にあってはドイツのU-ボートの攻撃から逃れられる確率が高かった。

1941年2月3日、ポリティシャンは荷物を満載してリバプールを出港した。積荷は、綿、鉈、モーター・バイクの車輪、石油ストーブ、タバコ、石鹸、医薬等々種々雑多であったが、当時は貴重品だった22,000*ダースのスコッチ・ウイスキーが含まれていた。積まれたスコッチ・ウイスキーの銘柄は ジョニー・ウォーカー、バランタイン、ブキャナン、ホワイト・ホース、スペイ・ロイヤル、ヘイグ等トップクラスのウイスキーであった。(*積荷のウイスキーの数量は出典によって異なる。ここではHutchinson-資料2に因った。)

行き先はジャマイカのキングストンと合衆国のニュー・オルリーンズ。大西洋の横断はドイツのU-ボートの攻撃の危険に晒されるので、商船は船団を組み護衛の駆逐艦に守られて航行するか、単独航海の場合でも出来るだけ安全な英本土近くを北に航行してから北大西洋航路を取った。リバプールを出たポリティシャンは、アイリッシュ海峡を北上しスコットランド本土の北西部とアウター・ヘブリディーズの間の海峡を抜けようとしていた。

次の日の夜半、ヘブリディーズ諸島の南端にさしかかったが、戦時のことで灯台は明かりを落としていて所在の確認が困難、加えて強風が吹きはじめポリティシャンはコースを外れた。2月5日午前、薄明の中で近くに陸地を見た船長は必死の操船で船を沖合へ向けたがそこには暗礁があり船は座礁した。船体は亀裂しエンジンはすぐに停止した。乗員は島民と救命ボートで全員救助された。

エリスケイ-ウイスキー・ガロア(史実)

ポリティシャンから回収されたウイスキー。左の瓶には「White Horse Distillers Ltd, Glasgow, Scotland」、 右の瓶には「Federal Law Forbids Sale or Re-use of This Bottle. Spey Royal Whisky、Gilbey London England」の刻印があった。(Courtesy: Bar Am Politician)

ウイスキー・ガロアの話はここから始まる。ガロア(Galore)は英語の後置詞で、‘たっぷり’とか‘どっさり’という意味なので、ウイスキー・ガロアは‘ウイスキーがどっさり’となろうか。

座礁したポリティシャンを暗礁から引き離し再浮揚させるサルベージと積荷の回収が可能かどうかの検討は2日後から始まり、当初の見解は楽観的であった。まずウイスキー以外の積荷が回収された。サルベージ会社が酒税が未納税で油にまみれたウイスキーは価値がないと判断したからである。この作業は3週間続いたが、この時点でサルベージ会社が引き揚げたので、ポリティシャンは無人状態となった。

ロンドン・マーチャントの鐘:座礁したポリティシャンの船体は二つに切断され前半部はビュート島のロスセーに廻航された。ロスセーの博物館にはポリティシャン(前名ロンドン・マーチャント)で使われていた鐘が展示されている。

船員から積荷のウイスキーの事を聞いていたエリスケイの島民は無人となったポリティシャンから早速ウイスキーの‘回収’にかかる。何しろ戦時中で食品・飲料は配給制度、外貨獲得のため輸出が優先されたウイスキーは全く手に入らなかった。早く戦争が終わってたっぷり飲みたいと夢にまで出たウイスキーが突然何万ケースも目の前に現れたのである。

多くの島民が、ポリティシャンからウイスキーを失敬した。噂はあっという間に隣のバラ島、南ウイストだけでなくはるか北のルイス島やスカイ島、またスコットランド本土にまで広がり多くが船でやってきてウイスキーを‘回収’した。彼らには、大きくても船は海岸への漂着物と同じで、‘今日は良い物を拾った’ぐらいの感じで罪悪感は薄かった。‘回収’されたウイスキーを隠匿するために彼らはありとあらゆる知恵を絞った。野積のピートの山は異常に大きくなり、この冬牛はあまり干草を食べなかったように思われた。小屋の床はしっかりと釘が打たれ、最近いじられた芝生はゴルフ場のグリーンのようにきれいに手入れされた。

島民に罪悪感はなくても、税務署、警察、船会社、サルベージ会社には問題だった。輸出用だったウイスキーには酒税はかかっておらず、税務署からみれば脱税、警察や船会社からみれば荷主のウイスキーを持ち出すのは窃盗、サルベージには船と積荷を保全する責任がある、ということになる。何しろ小さな島で係官も不在だったため初動は遅れたが、‘回収ウイスキー’、すでに船名にちなんでポリー(Polly)という渾名で呼ばれた、が高値で取引されるに及んで取締りは強化された。ウイスキーが隠されていそうな場所は徹底的に捜索され、35人が逮捕、裁判で有罪判決を受けた者のうち19人は禁固刑に残りは罰金刑となった。

結局、ポリティシャンに積込まれた22,000ケースは、その年の秋までに当局が回収したものが13,000ケース、不法に‘回収’されたものが2,000ケース、船中に残されたものが4,000ケースと何千本ものバラ瓶である。船中に残された大量のウイスキーはどうなったか?ポリティシャンのサルベージは難航し最終的に船体は2つに切断され前半分はロスセーへ牽引され、ウイスキーが残る後半部は爆破されることになる。爆破作業を見守った島民の感慨は、‘ウイスキーをダイナマイトでぶっ飛ばすとは!こんなに狂った奴がこの世に存在するとは信じられない’、に良く表されている。

ウイスキー・ガロア(小説と映画)

バーAmPolitician: エリスケイ島で唯一のパブ。築1988年の瀟洒なラウンジ・バーである。ポリティシャンから回収されたウイスキー・ボトルの写真はこのバーで撮影させてもらった。

ポリティシャンの遭難とそれに続くウイスキー回収騒動を小説化したのが英国の小説家のコンプトン・マッケンジー(Compton Mackenzie, 17 January 1883 – 30 November 1972)である。マッケンジーはイングランドの舞台役者の家系に生まれたがスコットランドの血筋と気性は争えず、スコットランドを題材にした優れた作品を残した。1930年からエリスケイのすぐ南側のバラ(Barra)島に住み、ポリティシャンが座礁した時にもこの島にいた。コメディー‘ウイスキー・ガロア’を書いたのは1947年である。

小説の舞台のバラ島とエリスケイ島は、小説では大トディー(Great Todday)と小トディー(Little Todday)に、又ポリティシャンはキャビネット・ミニスター、不法回収ウイスキーのポリーはミニー(Minnie-キャビネット・ミニスターから)と名前を変えている。キャビネット・ミニスターの遭難とそれに続くウイスキー騒動が中心であるが、英語よりゲール語が地に付いたこの地方の生活、二組のカップルが結婚に至るまでのトラブル-娘の結婚になかなかOKしない父親、息子の結婚に反対の母親(これは万国共通らしい)、プロテスタントとカトリックの決まりの違いによる軋み等が生き生きと描かれている。

なかでも、当時の酒不足の中での人々のウイスキーに対する渇望感は一章を割いて描かれ、キャビネット・ミニスターが難破して起こるウイスキー騒動の伏線になっている。両トディーにウイスキーは本土から運ばれてくるのだが、戦争中のことで配給は少なく、バーに入荷した時でも客が飲めるのは2日に一回一人当たり1ドラム(Dram-小ウイスキー・グラス)だけ、人々のウイスキーへの思いはつのるばかりだった。妻に先立たれ、自分も重度のリューマチで病床にある農夫ヘクターと彼を訪れた医師との会話の場面である。

ヘクター:
“あの世で、亡くなった家内に会う前にせめて良いウイスキーを一杯飲みたいが、今の様子じゃ無理だろうな”

医師:
“心配するな。朝太陽が上がるように、ウイスキーも又来る。次に手に入ったらすぐ持ってきてやる。小さなウイスキー・グラスでなく、ビールのタンブラーに並々と注いで飲もう”

へクター:
“まあ夢だろう”

医師:
“Dream come true! ”

現在、エリスケイには島でただ一軒のバー、Am Politicianがある。Amはゲール語で英語のTheに当たり、バーは1988年にSS Politicianに因んで建てられた。ラウンジ風のバーで、壁にはSS Politicianの大きな写真が懸けられている。

参考資料
1. Whisky Galore; Mackenzie, Compton, Vintage, 2004
2. Polly: the true story behind Whisky Galore、Hutchinson, Roger、Mainstream Sport, 1998
3. Whisky Galore: DVD, Ealing Studios, 1949
4. http://www.scottiepress.org/projects/maritim.htm
5. http://en.wikipedia.org/wiki/Eriskay
6. http://ss-tregenna.co.uk/Pdf/SS%20Politician%20PART%20ONE.pdf
7. http://www.bbc.co.uk/coast/programmes2/07-outer-hebrides.shtml
8. http://en.wikipedia.org/wiki/Compton_Mackenzie