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稲富博士のスコッチノート

第106章 バランタイン・ウイスキーの話―その5.キルマリッド・プラント

写真1.キルマリッド・プラントの全景:プラントの西側上空から撮影したもの。写真左下を大きく蛇行している川は、北約5㎞のローモンド湖から流れ出て、約3㎞下流のダンバートンでクライド川に合流するリーヴェン(Leven)川である。プラントの総敷地面積は47万平方㎞である。

現在、バランタイン・ウイスキーの生産施設の、蒸溜所以外の貯蔵庫や瓶詰プラントは、グラスゴー西約30㎞のダンバートン市域に集中している。これは、バランタイン社が1938年に、ダンバートンにあった旧マクミラン造船所の跡地にグレーン蒸溜所、モルト蒸溜所とブレンド・瓶詰の複合施設を建設した歴史的経緯による。

1970年の後半に入って、能力不足と老朽化が進んだダンバートンのブレンド・瓶詰施設は、1977年にまずブレンド施設が、次いで1982年に瓶詰プラントがダンバートンの北約3㎞のキルマリッドに建設された新プラントに移動した。キルマリッドの施設の機能は、ウイスキー原酒の樽詰めと貯蔵庫への出荷、熟成した原酒の払い出しとブレンド、瓶詰め、製品の貯蔵と出荷である。

貯蔵庫

原酒の貯蔵庫は、旧ダンバートン蒸溜所のすぐ東のダンバック、約12㎞東のダルミュア、南方36㎞のベイスにある貯蔵庫群に分かれている。このうちのダンバック貯蔵庫群には40棟の貯蔵庫があり、ここは例の支那ガチョウが番をしていた所である。

写真2.ダンバックのラック式貯蔵庫:8段積みである。床面に置かれている鏡がブルーに塗られた樽は、バーコードが導入される以前に樽の使用回数を表すために異なる色に塗り分けていた時代のものである。

ブレンド

熟成を終わった原酒はキルマリッドに運ばれ中味が払い出される。中味が払い出される原酒の樽は、樽置場に配置し品質がチェックされる。大量に払い出す原酒は、コンベアを使って連続式に払い出すが、払い出し量が小さなものは従来のように樽をフロアーに並べて中味の原酒をホースで吸引してタンクに移す。タンクに移された原酒は、シングル・モルトやシングル・グレーンの場合もあるが、多種類のモルト・ウイスキーかあるいはグレーン・ウイスキーが混合したヴァッテッド・モルト(Vatted Malt)やヴァッテッド・グレーン(Vatted Grain)になっているので、これらを製品のレシピに従ってブレンドする。ブレンドされたウイスキーは、調熟の後、冷却濾過し瓶詰ホールに送られる。これらのブレンド工程の各段階でアルコール度数や香味がチェックされるのは言うまでもない。

写真3.払い出しを待つ熟成した原酒の樽:22レーンに最大800樽を置くことが出来る。ここでブレンダーが一樽、一樽品質をチェックし、ブレンドに使って良いかどうか判断する。

瓶詰

キルマリッドには2つの瓶詰ホールがある。1982年に完成したクライド・ホールと、2001年に建設されたリーヴェン・ホールで、現在の瓶詰ライン数は合計で13ラインある。製造される主要製品は、バランタイン・ウイスキー(6百60万ダース)、ビーフィーター・ジン(2百50万ダース)、パスポート・ブレンデッド・ウイスキー(1百万ダース)、インペリアル・ブレンデッド・ウイスキー(50万ダース)、アバロア・シングル・モルト(40万ダース)で、その他の製品を合わせて、年間約1千3百万ダースを生産するスコットランドで1、2位を争う大工場である。

ラインは、一分間あたり350本(350BPM=Bottles per minute)の高速ライン、150BPMの中速ライン、それと陶器入り製品のように35BPMという低速で製造されるものに大別される。写真4はリーヴェン・ホールにある高速ラインで、バランタイン・ファイネストが製造されている様子である。350BPMというと一時間に1750ダースが生産されることになるが、これだけの高速ラインで中味の容量、ラベルの貼り付け位置、キャップの漏れがなく、しかも容易に開栓出来るという条件を正確に管理し製造するために最新のセンサー技術が使われている。

写真4.リーヴェン・ホールのバランタイン・ファイネストの瓶詰:ラインは一分間350本という高速で流れているが、瓶同士があたることが無い設計になっているので瓶に傷がつかず、場内は非常に静かである。

設備の高速化や自動化が進んでも人の関与が無くなる訳ではない。ボトリング担当部長は、生産計画を立て、中味のウイスキーはもちろんの事、包材が間違いなく供給されるかチェックしてラインの割り振りを決める。品質が正しく管理され、予定通りの生産が行われているかについて管理責任もある。常時フル稼働している訳ではないが13ライン全てに対する製造責任以外に、種々のプロジェクトも加わってくるし、パッケージングの技術革新の勉強も欠かせない。

ボトリング担当部長の下で、現場を管理しているのがホール・マネジャーである。生産計画を元に作業員の配置を決め、同じラインでも一日の中で製品の切り替えがあればそれに対応し、製造が行われている間は常時品質が管理されて決められた数量が生産できているかを見届け、不具合があればアクションを取って解決する。

写真5.キルマリッド・プラントのボトリング担当部長のロリー・マクラウドさん(右)とクライド・ホール・マネジャーのカロライン・マッカファティーさん。後ろはクライド・ホールの一番ライン、持っているのは製造したバランタイン17年である。

キルマリッド・プラントのボトリング担当部長のマクラウドさんは20年の経歴をもつエンジニアである。非常に懇切丁寧な場内案内をしていただいた。趣味はラグビーとゴルフというスポーツ・マンである。マッカファティーさんは経歴30年、作業員として入社したが持ち前の聡明さ、気転の良さと努力でマネージャーまで昇進した。趣味はスポーツ・ジムに行くことと週末に二人の孫の世話をする事だそうだ。この二人もそうだが、場内で行き違う全ての従業員が明るく親切で、皆、“やあ、今日は“と声を掛けてくる。社外の人を大切にする姿勢は気持ちが良い。

マスター・ブレンダー

キルマリッドには、優れた製品を生み出す上で、その大きな設備と最新技術に劣らぬ重要な要素がある。マスター・ブレンダーと彼のチームで、こちらは完全に人的なものである。現在のマスター・ブレンダーはご存じのサンディー・ヒスロップさんで2005年からこの地位にある。2016年にはブレンド担当役員に昇進しているが、その背景には今後のウイスキー市場の世界的な拡大にはウイスキーの品質向上と新製品の開発が欠かせないという判断があり、マスター・ブレンダー就任以来優れた実績を上げてきたヒスロップ氏により大きな責任を持ってもらうという意図である。

写真6.ヒスロップ氏の近況:左はブレンダー室におけるノージングのオフィシャル・フォト、右はダンディー近郊の別荘での休日風景。すこし髭も蓄え、なかなかいかすミドルである。

そのヒスロップ氏にインタビューした。

Q1. ヒスロップ家はお酒と関係のある仕事をされていましたか。
A1. いいえ。父親はダンディー市で家具の骨董屋をやっていました。だから、古い家具にかこまれて育ちました。この環境は、私に伝統の大切さとお客様を大切にすることの大事さを学ぶ良い機会を与えてくれたと思います。骨董は好きなので、定年になったらやっても良いかなと思っています。
Q2. 小学校時代はどんな少年でした?教室と運動場のどちらが好きでしたか。
A2. 男の子は勉強嫌いが多いのですが、私はどちらも好きでした。運動はスコットランドに珍しくクリケットでしたが、当時スコットランドの学校でクリケットの部があったのはたった3校でしたので、いつもいきなり決勝ラウンドでした。
Q3. 10才くらいの時に将来何になりたいと思っていましたか。
A3. 良く変わりましたが、一時は警官になりたいと思っていました。
Q4. 最初、どんな仕事に就かれました?
A4. ダンディーにあったスチュアート・アンド・サンという小さなウイスキーのブレンディング会社のサンプル・ルーム(ブレンダー室)の助手でした。この会社はクリーム・オブ・バーレイというブレンドで有名な会社で、後にビール大手のアライド・ブリューワリーズが買収した最初のウイスキー会社でした。アライド・ブリューワリーズは更にバランタインのオーナーであったアライド・ディスティラーズの一部となり、アライド・ディスティラーズはペルノに買収されて現在のシーバス・ブラザースになった経緯があります。
Q5. バランタインのブレンダーになられたのはいつ頃でした?
A5. 1998年だったと思います。その一年前に、当時バランタインのマスター・ブレンダーだったジャック・ガウディーから、週に一日キルマリッドに来て働けと言われ、半年たったら週に一日が二日になり、キルマリッドに行き始めて一年後には、ずっとキルマリッドへ来るように言われてバランタインのブレンダーになりました。この一年間、ジャックは私にブレンダーの適正があるかどうかじっと見ていたのだと思います。一年間のインタビューだった訳です。
Q6. ブレンダーとしてどんな訓練を受けられましたか。
A6. ジャック・ガウディーとロバート・ヒックスの下での実地訓練が主でした。毎週何百樽ものウイスキーをチェックするのですが、ジャックとロバートに、“まずお前が利き酒しろ”と言われてやっていましたが、こんな大御所二人の前で香りに問題のあるウイスキーを見落とす訳には行かず、大変緊張した訓練でした。
Q7. ブレンダーになるために一番大切な資質はなんでしょうか。天性の能力、努力、あるいは情熱のどれとお考えですか。
A7. 疑いもなく“情熱”です。フレーバーに対する感度は大切ですが、トレーニングで向上するし、情熱があれば厳しい努力も苦になりません。
Q8. ブレンダーとしてのDo's Don'tsは?
A8. 基本的なことをきちっと守る事です。香りのある化粧品は使わない、自分だけでなく一緒に働いている他のブレンダーに迷惑になります。週の間は強い香辛料を使ったスパイシーな食事は取らない。仕事に影響しないときは多様な香味に接し、フレーバーのセンスの幅を広げることはやるべきだと考えます。
Q9. 貴方の最も尊敬する指導者はどなたでしたか?
A9. 父親とジャック・ガウディーです。父親は、人生を責任をもって生きることを教えてくれました。ジャックは凄い経験を持っていたし、品質を守り続けることに関して深い哲学をもっていました。仕事に関しては頑固だったが、仕事を離れると親切でフレンドリーな人でした。
Q10. 貴方が愛しているものの順番を言ってください。飼い犬、家族、バランタイン・ウイスキー、その他。
A10. 当然ですが、家族が一番で、次が僅差でバランタイン・ウイスキーです。バランタインでもう30年も働いてきています。
Q11. 余暇はどのように過ごされていますか。
A11. 時計と万年筆のコレクション、それと愛車を運転すること。時計と万年筆の収集は多くなりすぎて置き場所がないので、ガレージを保管場所に改造しました。愛車のキューブは、あのユニークなデザインが気に入っていて買いたいと思っていましたが、英国では手に入らなかったので日本に出張した時に買ってきました。「2E YJ」という変わったナンバー・プレートは、昔どこかの骨董屋で見つけて買っておいたものを(キューブに)着けました。健康維持には水泳をやっています。
Q12. ブレンダーとして経験されたもっとも難しい課題はなんでした?
A12. 原酒在庫のやり繰りです。絶えず変わるマーケティング・プランや新製品計画で最良の原酒の使い方を考えるのは並大抵のことではありません。ブレンダーはブランド価値の守護者であり、ブランド価値が守れないプランに対して断固Noという強さと勇気が求められます。
Q13. ウイスキーの将来性をどのように見ていらっしゃいますか?
A13. 非常に有望と思います。シングル・モルトは急速に伸びているし、優れた品質のブレンデッド・ウイスキーも着実です。バランタインのシングル・モルト、グレンバーギー、ミルトンダフ、グレントファーズを出したのは、現在の状況に対する良い答えだと思います。それぞれ、素晴らしいシングル・モルトだし、バランタインのブレンデッド・ウイスキーの品質と評価を高めています。
Q14. 今後どのような仕事に力点をおいていくお考えですか?
A14. 新製品開発です。1、2年前までは新製品開発は仕事の数%で、95%は品質保証でしたが、今は新製品開発が30%、70%が品質管理となっています。ブレンダー・グループの体制も強化しました。現在の消費者は、ウイスキーに関する知識や品質を評価する能力も非常に高く、隙のない仕事が要求されますが、これは良いビジネスチャンスでもあります。
Q15. ウイスキーの世界の変化をどう見ておられますか?
A15. 全てが急速に変わっています。コンピュータ化で品質はかつてないほど安定しました。情報はパソコンのワン・クリックで世界に伝搬するし、競合は非常にタフで複雑化しています。良い仕事をすればチャンスも大きいのでしっかりやりたい。
Q16. 生まれ変わったら又ブレンダーをやりたいですか?
A16. 100% イエスです。
Q17. 日本のバランタイン・ファンに一言お願いします。
A17. 我々7名のブレンダー・チームは経験豊かで、合計の経験年数は100年を超えるが働き盛りでもあります。品質はかってないほど高くなっているので、我々の宝物ともいえる日本のバランタイン・ファンに十分満足していただけると確信しています。
稲富
ありがとうございました。

今回のインタビュー中ヒスロップ氏は、生い立ちから修業時代、個人生活から仕事の現状と将来についてどのように考えているか率直に語ってくれた。飾らない人柄、仕事と個人生活の良いバランスの取り方、深い洞察には流石トップクラスのマスター・ブレンダーとの印象を深くした。10月には日本に行くことを楽しみにしているとの事だった。