バーテンダー物語1 私が17年ものだった頃

No.01

銀座「粋来亭」石川辰夫さん

1952(昭和27)年生まれ

2003年01月09日号

はじめまして。
「バーテンダー物語」の創刊号にようこそ。
あなたはバーで、こんな体験をされたことはありますか?

いつもは無口で、聞き上手に徹しているマスターが、ふいに、ぽつりと、自分の思い出ばなしを語りだす。 まるで、永年とざされてきた扉が開かれて、中から淡い光が漏れ出すような、それはちょっと、どきどきする瞬間であります。 そのうえ、マスターの話は面白く、聞き入るこちらは、ホロリとしたり、ジーンとしたり。 そのような、マスターの思い出ばなしは、たとえば、お寿司屋さんでいえば、つまりあれ、常連客にだけ、ごくたまに供される、「大将とっておきの肴」です。 どちらも実に味わい深いのに、なんとお代は無料なのです。
ただし、バーの「とっておきの肴」のほうは、どんなに沢山の人が味わっても減りません。 減らないどころか、多くの人が愉しむほどに、ますます美味しくなるような、まったく不思議な「肴」です。
本誌は、バーで巡り会う、そんな「とっておきの肴」をみんなで分かち合いたいという思いで生まれました。
さあ、ではご一緒に、今夜の「とっておき」をいただきましょう。

同窓会にバケモノきたる

粋来亭のマスター、石川辰夫さん(上写真左)は、今年51歳になるというのに、顔だちはまるで青年です。
「同窓会にいくと、石川さんは、昔とあまりにも変わらないものだから、『バケモノ』呼ばわりされるんですよ」
そんな話をそっと教えてくれるのは、粋来亭の重鎮、戸山純子さん(同右)。
戸山さんは、今年十周年を迎える粋来亭で、開店以来、石川さんを支えてきたスタッフです。二人の付き合いは長く、元は演劇仲間でありました。

出会いは高校の演劇部。
1年後輩の戸山さんは、高校を卒業してからは大学在学中に、石川さんが20代の時に旗揚げした劇団にも参加、暗黒舞踏を得意とする、妖艶なる看板女優でありました。
(ちなみに、石川さんの奥さんは、戸山さんの高校時代からの親友で、同じ演劇部員でありました。そのようなわけで戸山さんは、石川さんのいろんな顔を知っています)

畳でカクテル

10年前、粋来亭を開店した時のこと。
石川さんは、バーに関してはまったくの素人でした。はたけの違う仕事からの転身だったのです。41歳の時でした。 奥さんもいました。小学生になる二人のお子さんもいました。 たくさんのことを背負いながら、新しい事業を始めるのです。
その時、石川さんは、一つの誓いを胸の中に打ち立てたと言います。
それは、「この先、10年は遊ばない」以来、石川さんは、日曜日も休むことなく、毎日カウンターに立ってきました。

そして、もうすぐ10年です。常連のお客さんもできました。
なかでも、石川さんが驚いたのは、仕事帰り、静かに1、2杯のウイスキーを飲んで、すっと引き上げる女性の一人客。
そういう颯爽とした女性のご常連がたくさんできるとは、石川さんにも予想のつかなかったことでした。
「うちは、戸山さんをはじめ、優秀な女性バーテンダーがいてくれるから、一人で来られる女性のかたにも、安心していただけるのでしょうね」と、石川さん。
すると戸山さんは、「優秀かどうかは分かりませんけど、私、おそらく、女性バーテンダーとしては珍しいかもしれませんが、暗黒舞踏ならおどれます」
そういう戸山さんは、粋来亭の開店当時を振り返って、こんな話をしてくれました。
「私たち、バーは素人でしたから、開店前は本当に大忙しだったんです。
石川さんの家に集まっては、カクテルづくりの練習をしたりして。
真剣な顔して、一生懸命、シェイカーを振っていたんですよ、石川さんちの畳の上で、畳みの上でカクテルですよ!」

「ラッパの君が代」と「落語文字」

さあ、このへんで、いよいよ本題に入りましょう。
「わたしが17年ものだった頃」。
語るは、粋来亭の石川辰夫さん。ときどき、戸山純子さんも登場します。

石川さん: 「17、8歳の時の高校演劇、あの頃は、お金のことなど、心配することは何もなくて、ただ純粋に演劇だけに打ち込んでいました。
演劇部の部員は50人。大所帯です。ぼくは2年の時から部長をやりました。
戸山さんが新入生で入ってきたのはその時です。
本当に生意気で、『私、中学で演劇やってたんですけど、役はもらえますかァ』 なんて言いうから、そこで、『農民1』という、とても重要な役をあげたら、それすら何もできないんです」

戸山さん: 「お姫様の役なら、できたんですけどね」

石川さん: 「まあ、あの頃は、恐いもの知らずというか、そんな話をしましょうか。
『ラッパの君が代』という曲があるのをご存じですか。普通の『君が代』とは違う旋律なんです。
軍隊のトランペットで演奏する曲で、それを演劇で使う場面があったんです。ぼくらも、その曲は知りませんでした。
それで調べていくうちに行きついた先は、黛敏郎さんでした。
もう、今はお亡くなりになられた作曲家の先生です。
『黛先生ならご存じのはずだ』と、あるところで紹介されて、そしたらですね、楽譜もレコードも当然のようにお持ちで、『高校演劇です』と言ったら、こころよく貸してくださいました。
今考えると、あれほど高名な人に、よくもまあ、頼めたものだと思います。
全部、無償でやってくださったんです。
それから、こんなこともありました。

舞台の小道具で、寄席で使う『めくり』が必要だったんです。
『めくり』というのは、噺家の名前が書いてあるもので、寄席の舞台の脇に置いて、噺家が変わるたびにめくっていくやつです。
けれど、あの独特な文字を書くのが難しい。
あの文字は『落語文字』というのですが、ぼくらには、どうやったって書けやしない。そこで落語協会に相談したんです。
すると、いい人がいますと紹介されて、訪ねて行きました。
橘右近さんのお宅です。橘右近さんというかたは、『落語文字』を完成させた大家です。
実は、それほど偉いかたとは知らないままに訪ねて行きました。
右近さんは、全部、その場で書いてくださいました。
ついでに、舞台で使うちょうちんの文字まで書いてくださった。
恐いもの知らずの高校生は、もったいないような経験をしていたんです」

演劇だけしか頭になかった

石川さん: 「将来の不安というのもは、まったくなかったですね。高校2年の時から、自分は演劇の世界に進むんだと決めていましたから。 なんとしてでも、役者になろうとしていました。
二十歳の時には劇団を組んでやっていましたし、その夢が、一番最初にくず折れたのは、あれは、23歳の時、兄貴が亡くなったんです。
それで、兄貴のかわりに家業の製本の商売を継ぐことになって、はじめは家業と演劇を両立させようともしましたけど、ま、それはまた別の話、17歳に戻りましょう。
あの頃にやっていた演劇が、やっぱり一番楽しかったかな……。
高校時代は、スキーにも行った事がないし、演劇だけしか頭になかった。 ぼくらの演劇部は、8時までの居残りは普通で、夜中の12時までやることもありました。遅くまで居残りをした日は、まずは、女の子たちを家まで送って、ぼくたち男子はそれから帰る。 でもね、女の子の親ごさんにしてみたら、たまらないですよ。 文句を言おうと、玄関先に立っているんです。けれど、ぼくらの顔を見ると文句が言えなくなる。そういう親ごさんたちが多かったです。きっと、よっぽど疲れた顔をしていたんでしょう。それに、勝手なんですけど、悪いことをしているという意識は、まったくなかったんです。変なことは、一切していませんでしたし。 もう、そのへんは自信を持ってね。
あの頃は、女の子を追いかけたりとか、そういうのは、ありませんでしたから」

戸山さん: 「え、何だって?」

石川さん: 「あ、だから、かみさんが、戸山さんと同じ演劇部の1年下でしたけど、その頃はちょっかいも何もだしていない」

戸山さん: 「うそおっ」

石川さん: 「嘘じゃないよ」

戸山さん: 「本当かなあ」

石川さん: 「本当だよ」

今夜の一杯

氷屋のコウちゃんが配達してくれる氷で、たっちゃんがつくるオン・ザ・ロック

石川さん: 「氷屋のコウちゃんとぼくは、幼稚園と小学校の同級生。むこうも石川って名字でね、コウちゃん、たっちゃんの仲でした。 10年前、この店を始める時に、氷を配達中のコウちゃんにばったり再会して、『これからバーをやるんだよ』と話したら、それから10年、毎日氷を届けてもらっています。
1貫、2貫の『貫単位』で注文する氷は、まずはアイスピックで割っていきます。オン・ザ・ロックに使う氷は、まるい形に整えて、一晩寝かせて固く引き締めます。
さあ、どうぞ、うちのバランタインのオン・ザ・ロックは、コウちゃんとぼくの合作です」

粋来亭

2005年11月閉店
住所 東京都中央区銀座5-2-1東芝ビルB1
電話 03-3571-3031
営業時間 11:00〜23:00(平日)
17:00〜23:00(土・日・祝)
定休日 無休

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