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稲富博士のスコッチノート

第92章 スコッチウイスキーと法律-その1

1.ボウモアのラウンド・チャーチ:ボウモアの町とこの教会は、18世紀の麦芽税導入に賛成して、グラスゴーの邸宅を暴徒に略奪された(グレート)ダニエル・キャンベルと孫の(ヤング)ダニエル・キャンベルによって建設された。教会は、悪魔が隠れる角を作らないよう円形になったという。

古今、洋の東西を問わず、為政者は税を取り立てる事に熱心であった。スコットランドで何時頃からウイスキーが造られたか定かでないが、8世紀頃に穀物からアルコールを蒸溜する技法がアイルランドから伝えられたというのが定説になっている。当時の蒸溜酒は我々が現在飲んでいるウイスキーとは似ても似つかぬひどいものであったことは想像に難くない。粗悪であっても夏でも寒冷で、冬は厳冬のスコットランドにあって、体を温め陶酔をもたらしてくれる高度数のスピリッツは掛替えがなく、スコットランド全土に広がるのにそれほど時間はかからなかった。

人々に広く消費されていれば、税をかけたくなるのはどの政治体制でも同じで、スコッチウイスキーに関わる法律も、どのように課税し、徴収するかという事が中心となって発展してきた。現在のスコッチウイスキーの法規制は、スコッチウイスキーの定義、表示、法の執行等が詳細に規定されているが、それは一朝一夕に出来上がったものではない。本章では現在にいたるまでの歴史的経緯と時代背景を振り返ってみる。

1823年まで

図1.1800年頃のハイランドライン:破線の左側がハイランドである
出典:http://www.scottishrepublicansocialistmovement.org/pages/clanshipcduthchascullodenthepreludetoclearance.aspx)

写真2.ジョージ・スミス:密造業者であったが、1824年に正規の免許を取得してグレンリベット蒸溜所を建設した。かっての密造仲間を裏切ったわけで、彼らの攻撃から自身と蒸溜所を守るためにゴードン公からもらったピストルをいつも携行せざるを得なかった。

1494年 スコッチウイスキーに関する最初の記述。 王室の出納簿にある“王の命により、リンドーアス僧院の僧ジョン・コア―にAqua Vitae製造の為に麦芽8ボールを支給”とある。

1603年 スコットランドとイングランドの王室が統合。王位継承者のいなかったイングランドの女王エリザベス1世の死去に伴い、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位。スコットランド・イングランドの同君連合が成立した。

1644年 スピリッツに対する最初の課税。チャールズ2世がAquavytieやStrong waterに最初の酒税を課税。

1707年 スコットランド議会とイングランド議会が統合。この年に成立した連合法によりグレートブリテン王国が成立。スコットランドの行政権は、エジンバラからウエストミンスター(ロンドン)へ移った。

1725年 ショウフィールド暴動(Shawfield riot)。当時、ビールやスピリッツへの酒税は原料となる麦芽に課税されていた。グレートブリテン王国の成立以来、スコットランドの麦芽税は低く抑えられてきたが、この年から増税が図られ、これに対して反対暴動が発生した。暴徒は、グラスゴー区からウエストミンスターへ選出されていたウォルター・キャンベルが、スコットランドでの麦芽税に賛成したことに反発してキャンベルの邸宅、ショーフィールド・ハウスを襲って略奪した。暴動鎮圧の軍隊の発砲で9人が死亡、邸宅の被害にあったキャンベルは政府から9,000ポンドの補償金を受け取り、これを入れて12,000ポンドでアイラ島を購入した。

スコットランドの麦芽への課税がイングランドより低かった理由は、スコットランド産の大麦の品質がイングランド産より劣り、税の優遇措置がなければ競争力がなかったことによる。

1784年 ウオッシュ・アクト(醪法)。この年、ハイランド地方の密造を防止し、正規の免許を取得しやすくする目的で、ハイランドの税負担を軽減するウオッシュ・アクトが制定された。スコットランドをローランドとハイランドに分け異なる課税基準が適応されたのである。ハイランドは蒸溜釜の容量1ガロン当たり年間1ポンドを課税、但し、多くの制限条件が付された。1蒸溜所あたり蒸溜釜は1基のみ、使用できる原料は蒸溜所のあるパリッシュ(Parish=教区を元にした最小の行政単位)で収穫される原料に限る、出来たウイスキーはハイランドでのみ消費されローランドへの輸出は禁止、違反には重い懲罰である。これに対し、ローランドではイングランドと同じ醪1ガロン当たり5ペンスが課税された。

この法の執行に必要だったのはハイランドとローランドの線引きで、法令で規定された。その定義や位置はよく変更されたようだが、図1に一例を上げる。この図の出典はウイスキーの課税に関するものではないが、ニール・ガン(Neil M. Gunn)のWhisky and Scotlandに記されているハイランドライン上の主な地点名を結ぶ線とよく一致している。一見して現在の定義とずいぶん異なっていることが分かるが、この線引きの根拠は徴税官が海岸からアクセス可能な地点までをローランドと決めた可能性がある。このハイランドとローランドで課税方法が異なる1784年の醪法は1816年には廃止されたが、スコッチウイスキーにおけるハイランド、ローランドという地域呼称は今に受け継がれている。

1814年の改訂。課税方法を、ライセンス料は10ポンド、500ガロン(2,270リッター)以下の蒸溜釜は禁止、醪とスピリッツの両方に課税、に改訂。この規制は、ハイランドの小規模蒸溜業者には経済的に絶対に無理、特に500ガロンもの大型蒸溜釜を義務付けたのは自分たちの絶滅を謀ったとしか考えられず、密造に戻るしか道はなかった。密造は猖獗を極め、ハイランドのウイスキー造りは全て密造者の手に落ちた。業務を遂行しようとする徴税官と、対する密造者の時には流血のトラブルは絶え間なかった。

1823年 Distillery Act (蒸溜所法)この密造の混乱を収拾するには、‘公権の行使より方針の変更が必要’との認識が政府でもハイランドの有力者の間でも高まり、1823年の改訂となった。誰もが受け入れやすく正規のライセンス・ディスティラーになれる、が方針であった。内容は、ライセンス料は年に10ポンド、スピリッツへの税率はプルーフガロン当たり2シリング3ペンス、蒸溜釜の容量は40ガロン以上、である。この法案の制定に努力したのは、ハイランドの事情やハイランド人の気質に詳しいスペイサイドの有力な領主であり上院議員だったアレキサンダー・ゴードン公爵で、新しい法律の元で最初に免許を取得したのがゴードン公のテナントのジョージ・スミスであったことは良く知られている。

技術革新の時代とその影響

図2.Coffey Stillの断面:主要な部分の名称は
1. 醪塔、2. 精溜塔、3. リサイクルされた余流の入り口、4. 初溜蒸気の精溜塔へのダクト、5. 醪塔への醪の入り口、6. 蒸気入口、7. 初溜廃液の出口、8. 醪の入り口、9. 低沸点成分のベント(排出口)、10. 製品スピリッツの出口、11. 余流の出口
出典:http://www.whisky-distilleries.info/Histoire_EN.shtml

1831年 Coffey Stillの発明。何世紀もの間スコッチウイスキーの蒸溜はポット・スティルで行われてきたが、蒸溜に革新をもたらしたのがアイルランドの徴税官だったAeneas Coffeyである。従来のポット蒸溜が、釜に発酵醪を入れて加熱蒸溜し、終了すると残渣を捨てて再度醪を張り込み蒸溜するという操作を繰り返すのに対して、Coffey Stillは小さな穴が開いたプレートを棚状に積み重ねた塔の上部から醪を流し込み、塔の下部から蒸気を吹き込んで棚を滴り落ちてくる醪を加熱してアルコール分を蒸発させる仕組みである。

Coffey Stillには、作業を連続式に行う事が出来る、多くのプレートで蒸発と凝縮を繰り返す精留が行われるので、スピリッツはアルコール度数も純度も高い風味の軽いスピリッツが生産される、このような精留されたスピリッツの製造には未発芽の穀物原料が使用できるので製造コストが低い、という3つの特徴がある。更にこの風味が軽いグレーン・ウイスキーを使ってブレンデッド・ウイスキーという新しい製品カテゴリーが誕生したので、Coffey Stillはもう180年以上前の発明であるが、ウイスキー製造技術における最大の技術革新といわれている。

1853年 ブレンデッド・ウイスキーの発明。この時代、モルト・ウイスキーはモルトとして、グレーン・ウイスキーはグレーンとして飲用されるかあるいはジンの原料としてイングランドへ輸出された。個々の蒸溜所の生産量は少ないが、多様なフレーバーのモルト・ウイスキーと、量産できるグレーン・ウイスキーをブレンドして品質が安定していて経済性に優れたブレンデッド・ウイスキーを創造したのが、エジンバラの酒商、アンドリュー・アッシャー(Andrew Usher)である。スコッチウイスキー史上最大の商品革命で、モルト・ウイスキーが人気である最近でもスコッチウイスキーの売り上げ量の90%はブレンデッドが占める。

1906年 ウイスキーとは何か? 現在、グレーン・ウイスキーやグレーンとモルトをブレンドしたブレンデッド・ウイスキーがウイスキーであることに疑問を持つ人はいないが、ブレンデッド・ウイスキーがアッシャーによって開発されて以来数十年間、このグレーンやブレンドはウイスキーなりや、という疑問は燻ぶり続けていた。背景にはモルト・ウイスキー業界とグレーン・ウイスキー業界の対立があった。モルト・ウイスキー業界にしてみれば、もし法令上グレーン・ウイスキーやそれをブレンドしたブレンデッド・ウイスキーがウイスキーにあらず、ということになるとこんな有利な事はないし、反対にグレーン・ウイスキー業界には死活問題となる。

ちょうどその頃、新しく発明されたマーガリン(Margarine)はバターを装った、バターリンという名で売られていたが、それに対して食品・医薬品販売法(Sale of Food and Drugs Act, 1875)を盾に各地でマーガリンとバターとの混合は不正混和・偽装であるとの訴えが起きていて勝訴していたのである。

1890年に設置された下院の委員会は、この‘ウイスキーとは何か?’という問題と, ウイスキーはある期間貯蔵熟成させるべきか、を検討していたが、この時は、ブレンドに関してより厳格な制限を設ける必要はなく、貯蔵・熟成を義務付ける必要もない、という結論であった。

1904年の事である。ロンドンのイズリントン(Islington)自治区協議会はブレンデッド・ウイスキーを販売した小売店を、‘顧客が要求したものでないものを販売した’と訴え勝訴した。この判決はグレーン・ウイスキー業界にとって存続を否定されたに等しく、グレーン業界は最大手のDCLを先頭に巻き返しに出た。問題は王立委員会に委ねられたが,‘モルトもグレーンもモルトとグレーンをブレンドしたブレンデッドもウイスキーである’という最終報告が出されたのは1909年であった。

1914年 第一次世界大戦勃発

写真3.オークの樽で熟成されるスコッチウイスキー:最低3年樽での熟成が義務付けられた1916年当時、熟成に用いられていた主な樽は写真のようなシェリー・バットであった。バーボン樽が大量に使われるようになったのは1950年以降である。写真は、ボウモア蒸溜所の第一号貯蔵庫

1915年 Immature Spirit Act (ウイスキーの熟成に関する法律)。スコッチウイスキーは樽で最低2年間貯蔵しなければならないと決まったのが1915年である(貯蔵年数は翌年から3年になる)。それ以前は、市場では貯蔵熟成されたウイスキーが好まれてはいたが法律上の規定はなく、‘ウイスキーとは何か?’論争の中で、法廷で明らかにされたあるブレンデッド・ウイスキーのブランドは‘1ヶ月物’であった。

ウイスキーの熟成期間を規定した1915年の法律が制定されたのは丁度第一次大戦の時である。法案が検討されていた1914年当時の財務大臣、ロイド・ジョージは禁酒主義者であり、飲酒が英国労働者の健康と勤労意欲を損ないドイツとの戦いを危機にさらしている、又逼迫した戦時予算の確保も必要と考え酒税を2倍にする増税を提案した。前年予算も酒税は34%増税されていたので、業界はなにがなんでもこの増税案は了承できず、代案として貯蔵熟成を義務付けることで出荷量を制限するという提案をして決着した。この案はロイド・ジョージの面子も考えての提案であり、長期的にスコッチウイスキーの品質を高める極めて戦略的な思考でもあった。

1933年 Finance Act (財政法)。この法律で、スコッチウイスキーは始めて定義された。すなわち、「スコッチウイスキーの呼称は、スコットランド内で、穀物を麦芽の糖化酵素で糖化、発酵させて蒸溜し、保税庫で木樽で最低3年間熟成させたスピリッツにだけ適用される」、である。スコッチウイスキーが誕生してから、おそらく1000年を経過し始めて定義された画期的な法律であった。

以降のスコッチウイスキーの法規制については次章でご紹介します。

参考資料
1.Gunn, Neil M. (1977版) Whisky and Scotland, George Routledge, London.
2.Wilson, Ross (1973) Scotch. Its History and Romance, David and Charles.
3.http://www.electricscotland.com/history/glasgow/anec57.htm
4.http://theroundchurch.org.uk/?page_id=19
5.http://www.scottishrepublicansocialistmovement.org/pages/clanshipcduthchascullodenthepreludetoclearance.aspx
6.http://www.ginologist.com/Wordpress/?p=230
7.http://www.legislation.gov.uk/ukpga/1915/46/pdfs/ukpga_19150046_en.pdf