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稲富博士のスコッチノート

第86章 クラフト蒸溜所-その1 イーデン・ミル・ビール醸造所・蒸溜所

ここ数年間、欧米においてウイスキーの世界でもビールの世界でも、合理化された大規模工場への集約化と並んで、反対の極にあるごく小さいクラフト・ビール醸造所やクラフト・蒸溜所が続々誕生している。この流れはスコッチウイスキーでも見られる。その流れを追ってみた。

1.セント・アンドリュース・オールド・コース18番 グリーンとRoyal and Ancient Golf Clubの建物

エジンバラの北、フォース湾(Firth of Forth)を挟んだ対岸にファイフ(Fife)とよばれる地域がある。ファイフは、スコットランドのアロア(Aroa)とパース(Perth)を結ぶラインから東方に突き出た半島で、北側はテイ湾(Firth of Tay)に接している。その面積1,325km²は、日本の沖縄本島よりやや大きい。

ファイフの主要都市は、スコットランドの古都のダンファームリン(Dunfarmline)、産業革命時代から工業と港湾で栄えたカーコーディー(Kirkcaldy), それと第二次大戦後の新興都市で現在ファイフの行政の中心となっているグレンロセス(Glenrothes)で、みな人口4万から5万人くらい町である。このグレンロセスは、町の大半がこの地方の貴族ロセス伯爵所有の地所に建設されたことから市の名前をロセスにしようとしたが、スペイ・サイドのロセス(Rothes)との混同を避けるためグレンをつけてグレンロセスにしたそうだが、今度はロセスにある有名なシングルモルト蒸溜所と同じになって紛らわしい。

2.グレン・ニュートン蒸溜所跡:12世紀に建設されたフォークランド宮殿の近くのニュートン村には、製麦工場が二つとこの蒸溜所があった。この蒸溜所は1855年に閉鎖、一時ビール醸造所にもなった。写真手前の記念碑の上に載ったキルンの尖り屋根が、ここが蒸溜所であったことを語っている。

この三つの町以外で、日本で最もよく知られているのはファイフ半島東端にあるセント・アンドリュース(St. Andrews)であろう。セント・アンドリュースで著名なものが三つある。12世紀から建造が始まり現在は廃墟になっている大聖堂、大学とゴルフコースである。1410年から1430年に創設されたセント・アンドリュース大学は、スコットランドで最古、全英語圏の大学で3番目に古い。英国王室のウイリアム王子とキャサリン妃が、共にここで学び結ばれたのはご存知の通りである。セント・アンドリュース・リンクスには10のゴルフコースがあるが、最も著名なコースはオールド・コースで今年の全英オープンもここで開催される。

その、セント・アンドリュース・ゴルフ・リンクスから約5㎞北西に、1810年から操業していたウイスキーの蒸溜所があった。後述するセギー(Seggie)蒸溜所である。ファイフ地方は、平坦な地形とスコットランドでは雨の少ない東海岸にあることから大麦の生産に適していたし、ファイフの炭鉱には燃料に必要な石炭が豊富にあった。消費地のエジンバラ、グラスゴー、ダンディー、アバディーン等の大都市への輸送には多くの港が利用できたという利点もあり、19世紀には製麦工場、ビール工場それに9箇所以上のウイスキーの蒸溜所があった。

ヘイグ一家 (Haig family)

ファイフ地方で代々ウイスキー事業に関わり、生産から有力ブランドの育成まで手掛け成功したウイスキー一家がいた。ブレンデッド・ウイスキー、へイグのヘイグ家である。1824年にジョン・へイグは、ジョン・へイグ社(John Haig & Co. LYD)を創業しキャメロンブリッジ蒸溜所を建設、へイグのゴールド・ラベルを発売した。正確な年は不明だがこのブレンデッド・ウイスキーは、ブレンデッド・スコッチ・ウイスキーの中でも最も古いブランドといわれている。

ジョン・ヘイグは、1600年から続くウイスキー蒸溜業者の名門へイグ家に生まれた。父親のウイリアム・へイグ(b.1771-d.1847)は、ファイフ地方の蒸溜業者を代表する人物で1810年にセギー蒸溜所を建設した。へイグ家は同じく蒸溜業者だったスティーン(Stein)家と姻戚関係にあり、スティーン家のひとりロバート・スティーンは1826年にカフェーに先立って連続式蒸溜機を発明している。ジョン・へイグの子息の一人が、後の第一次大戦の時の英国派遣軍司令官のダグラス・へイグ将軍である。

セギー蒸溜所(Seggie Distillery)

3.1855年に描かれたセギー蒸溜所:蒸溜所は、物資の輸送の為の埠頭をもち、この絵からも蒸溜所自体相当の規模であったことが分かる。
Picture Acknowledgement: http://kincaple.herobo.com/haig-of-west-kincaple

資料によると、1825年当時のセギー蒸溜所には、直径9メーター、深さ2,4メートルの仕込槽が1基、23klの蒸溜釜が2基、36klの蒸溜釜が1基、33klと23klのスピリッツ・タンクが各1基あり、年間の生産能力は1,100klという当時としては大蒸溜所であった。蒸溜所がモルトだけを原料としたモルト蒸溜所だったのか、モルトに未発芽の穀物も混用したグレーン蒸溜所だったかは不明だが、仕込槽や蒸溜釜のサイズの大きさから、アイリッシュの蒸溜法を引き継いだ当時のローランドのグレーン蒸溜所の一つであったように思われる。実際、1845年にセギー蒸溜所はカフェー・スティルを導入している。

蒸溜所は1869年にイーデン・ビール醸造所へ改装され、1873年には製紙工場に転換したが、敷地の一部では1885年まで製麦、ビール醸造、スピリッツ蒸溜は行われていたという。この製紙工場も2008年には閉鎖され、工場跡と敷地はセント・アンドリュース大学が購入した。

イーデン・ミル・ビール醸造所・蒸溜所

4.イーデン・ミル・ビール醸造・蒸溜所の入口:イーデン・ビール醸造所とあり、パブ等に出荷する樽が無造作に置かれていた。左側の入り口の奥には発酵タンクが見える。

2008年以降利用されていなかった旧イーデン・ミル製紙工場跡に、ビール醸造所と蒸溜所を復活させようとした小グループがある。ウイスキーの経験豊富なポール・ミラー氏のグループで、2012年に工場跡の一角を借りてクラフト・ビールの製造を開始した。

イーデン・ミル社の事業コンセプトとは、一言で言えば“時計を反対に回す”で、かっての伝統、クラフトと職人芸でセント・アンドリュースが誇るビールやウイスキーを復活させようとするものである。同社のサイトでは、“対話せずにメールでテキストを送り、愛よりは友達付き合い、なんでもマス・メディアと規模の経済というこの時代に、手作り、小規模なバッチ生産で個性と新しい興奮を提供するアヴァン・ギャルドなものつくりに挑戦する”とある。

5.イーデン・ミルの仕込槽:この仕込槽で、ビールとウイスキー両方の仕込みを行う。一仕込み当たりの麦芽は600㎏。スコットランドの平均的なモルト蒸溜所の仕込槽の十分の1程度のサイズ。ウイスキーの仕込みには標準的な蒸溜用麦芽以外に種々のビール用のカラメル麦芽、ダーク・モルト、ペール・エール麦芽等もブレンドして使用する。

ウイスキーの蒸溜を始めたのは2014年の秋からで、仕込みから発酵まではビールと同じ設備を使い、蒸溜にはポットスティル3基を導入した。大型のビール醸造所や蒸溜所では、効率的な生産に品質が安定した大量の原料が必要であるが、量産しない小バッチの手作り生産では少量しか入手できない特殊な原料でも使えることで、このことが従来にないユニークなフレーバーの開発を可能にしている。一例は、同じイーデン・ミルが製造しているジンで、ファイフでローカルに自生している草根や、花卉、果物などが使用されている。

蒸溜釜もユニークである。ポルトガル製で、800リッターの初溜釜が2基と600リッターの再溜釜が1基の構成である。これは筆者の推察だが、ポルトガル製を選んだ理由は、スコットランドの蒸溜釜メーカーは世界的な蒸溜所建設や増設に追われて超多忙でなかなか希望する納期通りに納品されない、それに価格もポルトガル製に比べて高価である。スペインは製作費が安いだけでなく、イーデン・ミルのポットスティルの胴部分は完全な球形をしていて、容量あたりの銅板の使用量は一番少ない設計になっている。

6.イーデン・ミルの蒸溜室:手前2基が初溜釜で最奥が再溜釜。ポルトガル製のこの蒸溜釜は、見慣れたスコッチウイスキーの蒸溜釜とは雰囲気が違い、アラブのアランビックを思わせる。溜液は容器や樽をコンデンサーの下に持ってきて受ける簡素な設計である。

その他にも、ウイスキーの蒸気が通るライン・アームが非常に細い、コンデンサーが蛇管式である等であるが、これらが品質にどのような影響を与えるのか今のところアラブのマジックのように神秘である。

イーデン・ミルのニュー・メイク(まだウイスキーになっていない蒸溜直後のスピリッツ)も樽入りで販売している。資金のキャッシュ・フロー上は沢山売りたいところだが、ウイスキーにするための備蓄も必要なので、ニュー・メイクの樽販売は年間30樽に制限しているそうである。

イーデンのクラフトによる物つくりの思想は良く分かるが、コスト高や資金力の弱さなど経営上の課題もあると思われる。少々高くても消費者が価値を認めて買ってくれる真のプレミアム商品としての評価を得て行くには時間もかかると思われる。

キャメロンブリッジ(Cameronbridge)蒸溜所

7.キャメロンブリッジ蒸溜所:蒸溜所 入口から見た主要施設。スピリッツの貯蔵タンク、ウイスキー用グレーンの蒸溜棟、ニュートラル・スピリッツの蒸溜棟が見える。

セント・アンドリュースの西方、車で約30分の所にキャメロン・ブリッジ(Cameron Bridge)いう村があり、そこにある蒸溜所がキャメロンブリッジ蒸溜所である。歴史は1824年まで遡る。蒸溜所を建てたのはヘイグ・ブレンデッド・ウイスキーの生みの親ジョン・へイグである。彼はセギー蒸溜所を建てたウイリアム・へイグの長男で、キャメロンブリッジを建設した時はまだ弱冠二十歳台の前半だったという。1827年には従兄弟のロバート・スティーンが発明した連続式蒸溜機を導入してキャメロンブリッジはグレーン蒸溜所になり、1832年にはより効率的なカフェー・スティルを設置した。

その後このグレーン蒸溜所は発展を続け、現在では年間の蒸溜能力15万klでヨーロッパ最大の能力も持つ。ウイスキー用のグレーン・スピリッツとウオツカ、ジンのようなニュートラル・スピリッツ、ジン、ウオツカ等も生産する大コンプレックスである。

共にウイリアム・へイグから発したセギー・イーデン両蒸溜所は日産240リッター、一方のキャメロンブリッジ蒸溜所は5十万リッターでイーデンの実に2000倍である。これらが共存するところがウイスキー産業の幅の広さを語っている。

謝辞:本章執筆の為の取材に多大のご協力をいただいたエジンバラ在住の田村直子、宇土美佐子両氏に厚く御礼申し上げます。

参考資料
1.Schweppes Guide to Scotch Whisky. Philip Morrice, Alphabooks, 1983.
2.http://kincaple.herobo.com/haig-of-west-kincaple
3.http://www.haigwhisky.com/haig-whisky-jameson-history-whisky-cousins/
4.http://edenmill.com