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稲富博士のスコッチノート

第80章 動力-1

1:ミルトンダフ蒸溜所の水車

エイプリル・フールも終わったので、すこし真面目な話に戻る。

ウイスキーをつくるのには結構エネルギーが必要である。使用するエネルギーの大半は、蒸溜を終わるまでの製造工程で消費され、スコッチ・ウイスキー産業の分析資料によると、蒸溜までのコストの約25%を占めている。

そのエネルギーの種類を大まかに言うと、動力エネルギーが約20%、熱エネルギーが80%である。動力エネルギーは、蒸溜所内でものを移動させたり、機械を動かしたりするのに必要であるし、熱エネルギーは仕込みの温水を作り、ウイスキーの蒸溜に使われる。原子力の利用が始まるまで、人類が利用したエネルギー源は時代順に、
1)人と家畜の時代、
2)水車や風車のような自然エネルギーの時代、
3)石炭や石油のような化石燃料の時代
に分けられる。ウイスキーつくりにおける動力エネルギーの歴史を見た。

粉砕

スコットランドで、穀物の栽培が始まったのは今から約6000年前の新石器時代と考えられている。農業は、人々の定住を可能にし、それ以前の狩猟採集に比べて安定的に食料が得られる大革命であった。栽培されていた主要穀物は、スコットランドの寒冷な気候で栽培可能なオーツ(Oats)や原始的な大麦のベアー(Bere)であった。

穀物は、その高い栄養価に加えて、よく乾燥しておけば長期間保存が可能、輸送や取扱いが容易という利点があるが、粒の外は厚い籾殻で覆われているし、粒自身も非常に硬くてそのまま利用するのは困難、まずは籾取りと粉にする作業が必要になる。穀類の粉砕(Milling)には大きな力が必要で、我々の祖先は数千年にも亘って技術の改良に努めてきた。

クアーン(Quern)

2:紀元250年くらいのロータリー・クアーン:上石中央に穴があり、そこから穀物を落とし込むと上下の石の間で粉砕されて石の間から押し出されてくる。(National Museum of Scotland蔵)

人類が穀物を粉砕するのに最初に用いた道具はクアーン(石臼)である。平面か、少しくぼんだ石の上に穀物を載せ石の塊で搗き碾きしてつぶした。非常に力がいる作業で、一日に粉砕できるのはせいぜい数㎏まで、一家族がポリッジ(porridge, 粥)やパンに焼いて一日に消費する量だったと想像される。

クアーンは改良されて碾き臼が主流になる。最初の大きな技術革新はロータリー・クアーン(Rotary Quern)の発明である。上下二枚の石板の上部を回転させ、石板の間で穀粒を粉砕するが、これで生産性は2-4倍に上がった。ロータリー・クアーンの発明は中近東とされているが、スコットランドでもアバディーン州の北部で起源250年頃のロータリー・クアーンが出土している。ロータリー・クアーンの歴史は長く、10-11世紀頃に次世代技術の水車が使われるようになるまで最も一般的な穀物粉砕手段だった。

このロータリー・クアーンであるが、水車が使われるようになった以後、法律で禁止される。粉ひき水車を建設した大多数は地方の領主だったが、領主は自領の農民に収穫物は自分の水車で粉にさせ使用料を取った。農民が、穀物を水車に持ってこないで自家でクアーンを使って粉砕すると、使用料を取り損なうので議会に働きかけてクアーンを禁止、廃棄する法律を制定させた。現存するクアーンが比較的少なく、破損されたものが多いのはこの理由による。
それでもクアーンは使われ続けた。特に、各農家がウイスキーを密造していた時代は、ウイスキーに使う麦芽を水車に持ち込むのは密造を自首するようなものだったので、こっそりクアーンで麦芽を挽いた。

ホース・ミル(Horse mill)

3:ウエストハフ農場のホース・ミル跡:円錐形の屋根のある建物で、建物の直径は12、3m。石臼は残っていなかったが、往時、家畜は円形の石臼の周りをぐるぐる回って穀類を挽いた。

人力でロータリー・クアーンを回した次の時代は、人に代わって大型化したロータリー・ミルを馬や驢馬に引かせ穀類を粉砕した。イングランドには多くのホース・ミル跡が残っているが、スコットランドでは多くない。その一つにタリメットのウエストハフ農場(Westhaugh of Tulliemet)がある。パース(Perth)から国道8号線を北に向かって行くと、ピットロホリー(Pitlochry)のすこし手前、左側に見える。この農場は今も使われていて、牛舎では多くの牛が干し草を食んでいた。ホース・ミルはその牛舎の一角に接して残っている。

粉ひき水車 (Meal mill)

4.ベンホルムのミル:水車に取り付けられているバケットに上部から水を供給する上射式水車(Overshot)で、直径は3.7m、幅1mで約9馬力を発生した。

水車は、人類が得た動力革命の一つといえる。古くは紀元前にギリシャやローマで使われたが、スコットランドで7-8世紀遅れて使われるようになった。初期のものは、水流を水平方向に水車の羽に当てて車軸を回転させる水平式であったが、10世紀頃からより効率の良い垂直式のものが主力になっていった。水車は、まず穀類を挽くことに応用されたが、以後、繊維、製材、鉱山、ビール醸造、蒸溜所等ほとんどの産業で使われるようになった。19世紀に動力の主役の座を蒸気エンジンに譲る以前には全スコットランドで数千基が稼働していた。

現在スコットランドには元のまま保存されている水車が約10ヵ所あり、いくつかは内部の見学が可能である。その一つに、アバディーンの南方約30マイルのベンホルム・ミル(The Mill of Benholm)がある。12世紀以前からのミルとされ、主にオーツ(Oats, カラス麦)を挽いた。1950年代まで使われ続けたが、この頃になるとスコットランドの農業構造が変わり、耕作は農耕馬からトラクターへ、作物はオーツから大麦へと転換していったのでベンホルム・ミルの仕事は無くなった。1982年に最後のオーナーが亡くなってからは次第に荒廃していったが、1986年にミルの歴史・文化的価値に着目した地元の州が買い取り、年月をかけて稼働できる状態にまで修復された。

水車が発生した力は建物に通じている車軸を回転させ、室内ではギア、シャフト、プーリー、ベルトの結構複雑な組み合わせで穀物の籾取り用石臼、粉砕用石臼、篩、バケット式エレベーター、穀物の袋を釣り上げるウインチ等を動かした。

手順は、農家が持ち込んだ穀類をまずキルンで乾燥する。このキルンは、Bowmore, Laphroaig等の蒸溜所のフロアー・モルティングにあるキルンの原始的なものと考えて良い。収穫したオーツは、水分が14%くらいあるのでそれを5%くらいまでに乾燥する。オーツはタンパクや粘りの元のグルカン含量が高く、水分を低くしておかないとパリッと粉砕出来ないからである。

乾燥の終わったオーツは温度を冷ましてからまず籾取り用の石臼にかけて籾を取り、続いて粉砕用の石臼で粉砕、それを篩で選り分け、荒い部分は石臼に戻して再度粉砕して所定の細かさにするのである

5.ベンホルムのミルのストーン・ミル:上下2枚のミル・ストーンの内、下のストーンは固定されていて上部のストーンが回転する。粉砕する穀類を、上のストーンの中央の穴から供給すると二枚のストーンの間で粉砕される。

ベンホルム・ミルの能力であるが、能力が分かっている別の同規模の水車から判断すると一日、8時間稼働させて約1トン程度と思われる。挽かれたオーツは農家が持ち帰ったが、農家はミラー(Miller=水車小屋の管理者)に粉挽き代として持ち込んだ穀物の4-8%を取られた。ミラーはこれから水車のオーナーである地主に水車の賃料を支払ったが、取り分を巡ってよく諍いが起きた。

蒸溜所の水車

6.オーキンブレーにあるデン・ミル跡:現在のキルンの形は、建物との接続部分の線形が最初に設計したとされるドイグのものとやや異なっている。上射式水車はもう動かないが、 19世紀の産業遺産としての価値は高い。建物は個人の住宅になっている。

18世紀後半から、ウイスキーの蒸溜が各農家での自家蒸溜から次第に規模が大きくなってくると、手挽きの石臼では間に合わなくなり、水車を使うようになった。現存するモルトの蒸溜所で、蒸気エンジンが導入される19世紀終わり頃までに建てられた蒸溜所は、ほぼ全てが水車を動力としていたし、既に水車のある粉ひき小屋を蒸溜所に改造したものも多かった。

ベンホルム水車のすぐ近くにあったオーキンブレー(Auchinblae)蒸溜所も、水力を動力としていた粉ひきミルをモルティングに改造したと思われる。オーキンブレー(あるいはオーケンブレー=Auchenblae)は、現在の人口約500人の小さな町である。町の始まりは18世紀終わり頃で、町を流れるルザー川の水車を使って後背地の農場で栽培されていた亜麻(Flax)から繊維を製造した。

亜麻を作っていた工場は1890年に閉鎖されたが、1896年に町の有志約200人が出資してモルトの蒸溜所に改造した。この蒸溜所の設計を担当したのが、あのチャールズ・ドイグで、水車に代えて水力タービンを発電し、電力を動力や照明に利用するという革新的な設計をしている。以下は、史実が今一つ確かでないのだが、そのオーキンブレー蒸溜所に麦芽を供給したのが、すぐ隣にあったデン・ミル(Den Mill)だった可能性が高い。オーキンブレー蒸溜所の発酵槽は27klのものが4基あったとされているので、当時の標準的な仕込みと発酵は週の前半だけ、蒸溜は週後半に行うという操業パターンから一日に一仕込みを行い、27klのもろみに4-5トンの麦芽を要したと思われる。

蒸溜所のシンボル

7.ストラスアイラ蒸溜所と水車:Keithにあるこの蒸溜所は1786年にMiltown Distilleryとして建設された。1870年にStrathislaに改名。スコッチ・モルト蒸溜所として最も古い蒸溜所の一つである。

スコッチのモルト蒸溜所で、水車が使われていた当時の設備が残っている所はないが*、水車やその一部であっても蒸溜所発祥のシンボルとして残している蒸溜所は多い。冒頭の写真の水車は、バランタイン・ウイスキーの基幹モルトの一つを蒸溜するミルトンダフ蒸溜所に残されているもので、以前は直火蒸溜の初溜釜のラメジャーを駆動するのに使われていた。密造時代のミルトンダフ蒸溜所自体、少し西方にあるプラスカーデン修道院のミール・ミルがあった所に建てられたというから水車との因縁は深い。

*ウイスキー蒸溜所で水車と補助機の蒸気エンジンがどのように使われていたか、その様子を今に留めているのはアイルランドのキルベッガン蒸溜所である。拙稿「スコッチノート」第53章をご参照ください。

水車がシンボルになっていて、もっともよく写真に撮られている蒸溜所にStrathisla蒸溜所がある。この蒸溜所の正面を飾る水車も、元は建物の裏側にあり工事に伴って廃棄される運命にあったが、現在の場所に移され保存されているのである。水車か、その一部が残っている蒸溜所は思いつくものでも、Scapa, Edradour, Glen Keith, Glenfarclus, Aberlour、Glen Speyがある。

水車の利用の歴史は長い。人類が穀類を粉砕する動力に水車を使い始めてからおよそ2千年、ウイスキーの蒸溜所に導入されてからほぼ100年に亘ったが、19世紀後半に蒸気エンジンに世代を譲った。

謝辞:本稿の執筆に際し、情報の提供、アドバイス等で多大のご協力をいただきましたChivas Brothers のAlan Winchester、Hamish Proctor両氏、スコットランド公認ガイドの田村直子、宇土美佐子両氏に厚く御礼申し上げます。

参考資料
1.The Mill of Benholm. Kincardine & Deeside District Council, 1996.
2.Water Power of Scotland 1550-1870. John Shaw, John Donald Publishers Ltd., 1984.
3.Scotch Missed. Brian Townsend, Neil Wilson Publishing Ltd, 2000.
4.http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_agriculture_in_Scotland
5.http://www.historic-scotland.gov.uk/ancientfarming.pdf
6.http://archaeologydataservice.ac.uk/archiveDS/archiveDownload?t=arch-352-1/dissemination/pdf/vol_104/104_137_146.pdf
7.http://www.scottishbrewing.com/history/history.php
8.http://en.wikipedia.org/wiki/Beer_in_Scotland
9.http://canmore.rcahms.gov.uk/en/site/26318/details/westhaugh+of+tulliemet/
10.http://www.nationalmillsweekend.co.uk/watermills_scot.htm
11.https://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/53/