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稲富博士のスコッチノート

第72章 イングリッシュ・ウイスキー-その1 セント・ジョージ蒸溜所

蒸溜酒についていえば、長年スコットランドはウイスキーの国、それに対してイングランドはジンの国であった。そのイングランドでもスコットランドほどでなくても、ウイスキーが作られなかったわけではない。

ウイスキーに関する幅広い情報をカバーしているウイスキーポータルのサイトには、史上イングランドで存在した18の蒸溜所が記されている。尤も、大半の蒸溜所について情報は多くない。このうち、ウイスキーの蒸溜所として正確な情報があるのはアルフレッド・バーナードが訪問し記録した4つの蒸溜所だけであり、これらの蒸溜所も1910年にはすべて姿を消しているので、イングランドでは100年以上もウイスキーが造られなかったことになる。

そのイングランドで、2003年からウイスキー蒸溜所の建設が相次ぎ、2012年末迄に5蒸溜所に達した。尤も、2003年にウイスキーを造りはじめたSt. Austell Brewery and Healey’s Cyder Farmは、ビール工場で発酵させた醪を近くのサイダー(リンゴ酒)農園へ運び、そこにあった蒸溜釜で蒸溜したもので、単独のウイスキーの蒸溜所として建設されたものではない。まあ、5か所でウイスキーが造られるようになった、と思った方が良い。

(*5蒸溜所の内、The London Distillery Companyと Lakes Distilleryは2012年末操業開始の予定であったが、実際に生産が開始されたかどうかは未確認です)

これらの蒸溜所の内、昨年12月初旬に訪問したセント・ジョージ蒸溜所(St. George’s Distillery)を今回に、又次回ではアドナムス蒸溜所(Adnams Distillery)を紹介します。

イースト・アングリア(East Anglia)

この二つの蒸溜所があるのはイングランドのイースト・アングリア地方である。ロンドンの北東にあり、エセックス、ケンブリッジ、サフォーク、ノフォークの4州からなる。ケンブリッジ以外は日本人には比較的馴染みが薄いかもしれない。

イースト・アングリアでは、4-5世紀にドイツのユトレヒト半島南部のアンゲルン地方からやってきたアングル人と、6世紀に同じくユトレヒト半島西南部のザクセンから移住してきたサクソン人がイースト・アングリア王国を形成した。一時、この王国は当時イングランドを支配していた7つの王国のなかで最強の王国となったこともある。アングルはイングランドの語源だし、アングロ・サクソンもアングル人とサクソン人に由来するので、この地方はイングランドやイングリッシュ発祥の地といえる。

イースト・アングリアは、平坦で広大、イングランドでは雨が少ない東海岸にあり、温暖で長い日照時間にも恵まれているので穀類の栽培に適し、‘英国の穀倉’と呼ばれる。大麦も年間100万トンを生産する大産地で、全ての主要製麦会社の工場がある。

セント・ジョージ(St. Georges) 蒸溜所-創業の経緯

1.セント・ジョージ蒸溜所:二階部分の外壁は板張りし、田園にあるコッテージ風の雰囲気を出している。こじんまりした瀟洒な外観で、スコッチの蒸溜所とは一味違う趣である。

蒸溜所を建設し、イングリッシュ・ウイスキーを再興したいという夢を実現したのは、600年以上に亘って農家や製粉を営んでいたネルストロップ家に生まれたジェームス・ネルストロップ(James Nelstrop)氏である。彼は、新しい事に積極的に挑戦する事業家で、長年世界の各地で新しい農業技術の導入や、農地改良の仕事に携わった経験を持つ。60歳になった時にまだ引退するには少し早いかなと思ったジェームスが、最後のチャレンジに選んだのがウイスキー造りだった。

立地に選んだのが、ノフォークのイースト・ハーリング。ノフォーク最大の都市ノリッジ(Norwich)の南西約40㎞の片田舎にあり、なだらかな起伏の農地や牧場と森が点在している。いかにも牧歌的な風景のところである。立地選定の理由は、ジェームスがそれまでノフォークで農業関係の仕事をしていたこと、良質の大麦を産し、麦芽工場が多く、大量の麦芽をスコッチ・ウイスキーへ供給していてウイスキー用麦芽製造の経験が豊富、醸造に適した地下水が豊富等の理由による。

2.蒸溜所内の案内板。The English Whisky Co.は、セント・ジョージ蒸溜所のオーナー・カンパニーの社名。ドラゴンを退治する聖ジョージが描かれている

スコットランド、アイルランド、ウエールズのウイスキー蒸溜所を数多く研究してから2005年10月に計画書を提出し、翌年1月に認可を得て建設に着手、この年の年末から蒸溜を開始した。この間、コンサルタントとして技術や生産のノウ・ハウを提供したのが元ラフロイグの蒸溜所長のイアン・ヘンダーソン氏である。

蒸溜所名のセント・ジョージは言うまでもなくイングランドの守護聖人だし、白地に赤の十字のイングランドの国旗もセント・ジョージと呼ばれる。実在した聖ジョージは3世紀にギリシャで生まれ、ローマ帝国の優れた軍人であったが、キリスト教の信仰を守って殉教した。ドラゴン(竜)退治の伝説で知られているが、このドラゴンは悪魔や邪悪の象徴である。セント・ジョージ蒸溜所では、聖ジョージがドラゴンを退治している絵柄が蒸溜所や製品ラベルにロゴとして使われている。

セント・ジョージ蒸溜所-製造プロセス

3.デヴィッド・フットさんと田中直子さん:デヴィッドはビール醸造とウイスキーつくりの両方の知識を持ち合わせた技術者。ブルー・バッジ(スコットランド政府公認ガイド)の資格をもつ田村さんは運転も得意で、今回の旅行で1000㎞以上を走破してくれた

製造プロセスを案内してもらった。案内は特別にマネジャーのデヴィッド・フィット(David Fitt)さんが当たってくれた。デヴィッドの前職は、サフォークのベリー・セント・エドモンズ(Bury St. Edmonds)にある有名なビール工場、グリーン・キング・醸造所(Green King Brewery)の技師だったが、2007年からセント・ジョージ蒸溜所に移り、イアン・ヘンダーソン氏から直接ウイスキーつくりを伝授された経歴を持つ。

原料-粉砕

セント・ジョージ蒸溜所はモルト蒸溜所で、原料は100%大麦麦芽(モルト)だけを使用する。原料の大麦は地場のイースト・アングリア産で、ノン・ピーテッドとヘビリー・ピーテッドの2種。へビリー・ピーテッド・モルトは総フェノール値が50ppmという強力なものである。粉砕機は、通常の4-6本ローラーでなく、アラン・ロドック社の2本ローラーで非常に小型、2段キャビネットくらいの大きさである。粉砕粒度のコントロールは少し難しいかもしれないが、コストや省エネルギー性に優れ、この規模の小型蒸溜所にはこれで良いのだろう。

仕込み

4.セント・ジョージ蒸溜所の製造設備:中央に仕込槽、見えないがこちら側に発酵槽を3基、前方に初溜釜と再溜釜各1基を同じフロアーに置き作業性が良い

仕込みから蒸溜、発酵の設備は全てスペイサイドにある設備メーカーのフォーサイス(Forsyth)社製である。1仕込み当たりの麦芽量は1トン。仕込み水は地下水で、総硬度が350ppmというからやや硬水であるが、この硬度はスコッチ蒸溜所のGlenmorangie やアイリッシュのMidletonと同じレベルで問題はないそうである。

仕込みの温度プログラムはオーソドックスで、1番は64-5℃、2番は70℃、最終3番は85℃である。すこし変わっているのは、粉砕麦芽を温水と混合して仕込みが終わった後、1番麦汁の濾過を始めるまでの静置時間が通常の15-30分より長く1-1.5時間と長めに取ってあることである。この間、澱粉の糖分への転換やタンパク質のアミノ酸への分解が進み、麦汁に酵母を加えた時の発酵が早く進むらしい。これは、ビールの仕込み技術の応用だろう。1仕込み当たり得られる麦汁量は約5,000リッターで、現在の生産レベルは、1日に1仕込み、週4仕込みである。

発酵

ステンレス製の発酵槽を3基もつ。使用酵母はマウリ(AB Mauri)社のプレス酵母。発酵期間は2-3日で、発酵終了醪のアルコール度数は7-8%である。

蒸溜

加熱方法は、初溜、再溜とも蒸気。初溜は1回当たり醪2,500リッターを6-6.5時間で蒸溜し、アルコール分約23%の初溜液を採取。再溜釜は1,800リッター。初溜液に、前回の余溜液を加えた再溜原料のアルコール度数は29%で、これからアルコール度数68.5%の本溜液を得ている。

樽・貯蔵

5.セント・ジョージ蒸溜所の新積み上げ方式:輪木は、長い1本物でなく、樽の外形にフィットするよう切り込みを入れ、2つの樽をまたぐだけの短いものである。ピラミッド方式といわれ下段の樽でも取り出し易い

熟成用の樽は、バーボンとシェリー樽。樽詰め時、スピリッツに加水することなく蒸溜で得られた68度のままで樽詰めする。仕込み―蒸溜室の裏に貯蔵庫があり、積み上げは4段のダンネージ(Dunnage-輪木)方式だが、下段の樽でも取り出し易いような工夫がされていた。

製品

いくつかの製品の試飲をさせてもらった。セント・ジョージ・シングルモルトの基本的な性格は、ソフト、すっきり、甘く、バランスが良い、である。バーボン樽熟成の3年物は、それにヴァニラ、ソフト・クリーム、やや穀物様、スパイスがあり、若いモルトにしては洗練されている。

同じくスモーキーな3年物は、フローラル、クリーミー、甘い感じは同じだが、それにスモーキーが加わり甘さと不思議なバランスをとっていた。

ウイスキーはまだ酒齢の若いものだったが、今後熟成が進めば滑らかさ、複雑重厚さ、ドライ感を増して行くと思われた。

参考資料
1.http://www.whiskyportal.com/indexuk.asp
2.http://www.englishwhisky.co.uk/
3.http://en.wikipedia.org/wiki/East_Anglia
4.http://www.whiskymerchants.co.uk/#/english-distilleries/4561477335
5.http://thecornishcyderfarm.co.uk/shop/classic-brandy/