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稲富博士のスコッチノート

第54章 アイリッシュ・ウイスキー その4.クーリーとベルファーストの旧蒸溜所

今回は、現存するクーリー蒸溜所とベルファーストに過去に存在した蒸溜所についてである。話に一貫性がないがお許しいただきたい。

1. クーリー(Cooley)蒸溜所

前回にも述べたように、150年前に世界No.1の地位にあったアイリッシュ・ウイスキーはその後急速に衰退、20世紀に入ってから業界は集約化に生き残りをかけた。このため1966年から1987年の間アイリッシュ・ウイスキーのメーカーはIDGL(Irish Distillers Group Limited) 社1社のみになり、しかも1988年にIDGL 社は国際資本の傘下に入る。この状態に挑戦したのがハーバード大でアイリッシュ・ウイスキーの歴史の研究をし、その栄枯盛衰を見てきたジョン・ティーリング(John Teeling) 氏である。事業のコンセプトを地場資本によるアイリッシュ・ウイスキーへの参入と、かっての栄光のアイリッシュ・ウイスキーのブランドの再構築におきクーリー蒸溜所を立ち上げた。

1987年、ダブリンから北へ車なら1時間半ほどで行けるクーリー半島にあった元ジャガイモからアルコールを製造していた工場を購入し、ウイスキーの蒸溜所に改造して製造を開始した。アイルランドで100年ぶりに新しいウイスキー蒸溜所 * が誕生したことになる。

製法

クーリー蒸溜所のポット・スティル:2回蒸溜でモルト・ウイスキーを蒸溜する。手間、横置きのシリンダー状のものは縦型のコンデンサーから出た溜液を更に冷却するクーラーである。

クーリー蒸溜所は、同一蒸溜所の中でポット蒸溜ウイスキーと連続式蒸溜によるグレーン・ウイスキーの両方を生産する。ポット・ウイスキーは、通常のスコッチのモルト・ウイスキーと同じ製法で、原料に麦芽のみを使用し、ミドルトン蒸溜所のように未発芽の大麦を使用することはない。ピートを燻煙しないノン・ピーテッド・モルトとピートを大量に炊いたヘビリー・ピーテッド・モルトを併用する。

仕込はマッシュ・タンを使用し、1回当たり6.5トンの麦芽を仕込む。17klの1番麦汁と15klの2麦汁の合計32klが醗酵タンクへ送られ、 15klの3番麦汁は次回の仕込水として温水タンクで保持される。ステンレス・スティール製の醗酵槽へ入った麦汁に、蒸溜酒用酵母を加え、約2日間醗酵させると、アルコール度数約8%のもろみが出来上がる。蒸溜はポットによる2回蒸溜で、初溜釜の容量は16kl、再溜釜も16klで、再溜で得られるニュー・メイクのアルコール度数は約66%である。再溜の時の本溜から余溜へのカット・ポイントが59%とやや低いので重めのスピリッツになると思われるが、ポット・スティルは張り込み液量に対して兜部から上の容積が大きく、これが軽めでソフトな香味を作り出すという。

貯蔵庫:新築された貯蔵庫での貯蔵方法はバーボン樽を乗せたパレットを積み上げる方法を採用していた。

クーリーではグレーン・ウイスキーの蒸溜も行っている。主原料のとうもろこしを圧力下で連続的にクッキングし、それを酵素力の強い麦芽で糖化して醗酵させアルコール分約8%のもろみを得る。蒸溜は2塔式の連続式蒸溜機を用い、アルコール度数94.5%のグレーン・スピリッツを蒸溜する。

貯蔵・熟成にはほぼ全量バーボン樽を使用し、モルトは64%、グレーンは70%で樽詰する。貯蔵はクーリー蒸溜所と、前回第53章で紹介したキルベッガン蒸溜所で行う。クーリー蒸溜所の貯蔵庫はパレットを使用した縦積み方式で貯蔵庫の収容力や作業効率に優れた方法である。

ブランド

ノール・スウィーニーさん:クーリーのマスターブレンダーとして新製品開発と品質管理を担当。製品は多くのメダルに輝く。

クーリー蒸溜所創業の狙いの1つは、かって19世紀に世界に名声をはせたアイリッシュ・ウイスキーのブランドの再興であった。それらの中には、前回第53 章で紹介したキルベッガンとそこにあるロック蒸溜所の名前を冠したキルベッガンとロックス、アイルランド中西地域の名称を付したコネマラ (Connemara)、デリー(Derry) にあったワット蒸溜所のブランド、ティルコネル(Tyrconnell) などがある。

クーリーは、キルベッガンで再開した小規模の再溜以外蒸溜所は1ヶ所しか蒸溜所をもたないが、原料モルトのピーティングの度合い、モルトとグレーン、貯蔵年数の違いを組み合わせてシングル・モルト、シングル・グレーン、数種のブレンデッド・ウイスキーを製造している。

クーリーのウイスキーは、1984年の操業開始から20年余りで既に多数のメダルを獲得しているが事業はすべて順調に推移した訳ではない。自社ブランドの構築には時間がかかる。一時、販売に対して原酒在庫が多大になりすぎ収益性とバランス・シートが悪化、あわや倒産かという時もあったという。

2. ベルファーストの旧蒸溜所

ベルファーストのシティー・ホール:1898年に建設に着手、1906に完成した。ビクトリア時代を代表するこの建造は市の中心部の圧巻である。

北アイルランドの首都ベルファーストは、19世紀英国のビクトリア時代に工業都市として発展した。主要産業は、綿織物、ロープ、タバコなどの軽工業と、中でも造船業と重機械産業が原動力になった。その中心となったのがハーランド・ウルフ造船所で一時世界最大と称された。市内にはシティー・ホールやクイーズ大学などビクトリア時代の面影が多く残されている。

ベルファーストのウイスキーの歴史は比較的浅かったが、市の発展に伴ってベルファースト市内と近郊のコマー(Comber) を併せると19世紀後半にはダブリンに次いで大きなウイスキー都市になった。1886年にアルフレッド・バーナードは市内で3つ蒸溜所、アヴォニール (Avoneil) 蒸溜所、コンズウォター蒸溜所(Connswater Distillery, The Irish Distillery) とザ・ロイヤル・アイリッシュとを訪問している。

アヴォニール蒸溜所

1886年に、この蒸溜所を訪問したバーナードはオーナーに見学を拒まれ、追い返される羽目にあっている。バーナードは、‘如何なる理由によるか理解不能'と記述しているが、面会したオーナーの息子から蒸溜所はカフェー・スティル2基を具えたグレーン蒸溜所であると聞いている。バーナードの見学拒否によって、この蒸溜所に関する情報は非常に少ないが、“バーナードの見学を拒んだ蒸溜所"として名を残すことになった。蒸溜所は1929年まで操業した。

コンズウォーター蒸溜所(The Irish Distillery Ltd)

コンズウオーター蒸溜所跡:前方赤レンガの建物の所は1996まではウイスキーの貯蔵庫が残っていたが、今はすべて取り払われて住宅になっている。中央左に、ハーランド・ウルフ造船所のもう使われていない黄色のガントリー・クレーンが見える。

1886年に建設された。バーナードの訪問時にはまだ未完の部分が残る当時最新鋭の蒸溜所で、ビクトリア時代のエンジニアリングの粋を集めて建設された。物流設計も合理的で、原料倉庫やウイスキーの貯蔵庫は港湾側に配置、鉄道の引き込み線も設けられた。

蒸溜所はモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーの両方を生産する複合蒸溜所で、粉砕器4基、仕込槽2基、発酵槽12基があり、蒸溜室には1時間当たりもろみ10klの蒸溜能力のカフェー・スティルが2基と大型のポット・スティルがあったというが、ポット・スティルの大きさや基数は不明である。グレーンの蒸溜能力だけで5,000kl以上の能力をもっていた。

コンズウオーター蒸溜所は、ベルファーストのブレンダー2社と1蒸溜業者の連合企業として建設された。自前のウイスキー・ブランドの生産ではなく、グループ内や他社に主としてグレーン・ウイスキーやジン原料のスピリッツの供給が目的であった。1902年、コンズウオーターは前述のアヴォニール、それにロンドンデリーで2つの蒸溜所をもっていたワット(Watt) 社と合併してUDC(United Distilleries Company)となる。合併後グループはグレーン・ウイスキー10,000kl、モルトを2,600kl蒸溜する大勢力になったが、1920初頭から事業不振に陥る。蒸溜が休止されたのはいつか正確には分からないが1929年には操業していなかったのは確実で、その後用地はタバコ会社に売却された。

ザ・ロイヤル・アイリッシュ蒸溜所(Dunville & Co.)

ザ・ロイヤル・アイリッシュ蒸溜所のポット・スティル ** :この石炭焚きのポット・スティルで3回蒸溜した。他にもう2基、こちらは蒸気加熱のポットがあった。(Miles Holroyd 氏のwebsiteより)

この蒸溜所は1869年に建設された。建設したのはベルファーストでブレンダーとスピリッツ業者として成功していたウイリアム・ダンヴィル (William Dunville) である。バーナードが訪問した時に蒸溜所は、日量80トンの大麦を処理する大型の製麦工場、5台の石臼式粉砕機、仕込槽3基、160klの発酵槽16基、直火加熱式のポット・スティル3基、蒸気加熱式のポットス・スティル2基を持ち、4,000klを蒸溜した。ポットの蒸溜方法は3回蒸留であった。その世紀の終わり頃にはカフェー・スティルが設置され、一日に5.2klのグレーンを生産した。ウイスキーは蒸溜所と市内の別の所の貯蔵庫で貯蔵され、 40,000樽の在庫を持っていた。蒸溜されたウイスキーはダンヴィルのブレンドに使用された。ダンヴィルは高い品質基準を設定し、その代表的なブランドのダンヴィル(Dunville's) は世界中のコンペでメダルを量産した。

ダンヴィルはブランド力、優良な財務内容で幾多の危機を乗り越えてきたが、1930年台に入って一族の後継者も居なくなりスコッチ・ウイスキーの最大手、 DCLに買収された。事業の継続が条件であったというが、買収後DCLは会社の不存続を決め、1936年に資産は切売りされた。DCLは、ダンヴィル以前にも前出コンズウォーター蒸溜所を含むUDCを買収後にすぐ閉鎖していて、ダンヴィルも駆け込む先を間違ったようだ。DCLはアイリッシュ・ウイスキーに将来性は無いと考えていたという。これでベルファーストのウイスキー産業は完全に姿を消した。

ハーランド・ウルフ造船所

ハーランド・ウルフ造船所の乾ドック:あのタイタニックは、1909年から1912年にかけてこのドックで建造された。タイタニックは処女航海中5日間という短い命を終えた。

ベルファースト訪問の終わりにハーランド・ウルフ造船所を訪ねた。幾多の名だたる船を建造したが、その中で最も有名なのが悲運のタイタニック (Titanic) である。1912年3月に完成し当時は世界最新鋭、最大の客船であった。同年4月10日に処女航海に出て14日夜半に氷山に衝突、15日未明に沈没した。タイタニックはアイルランドの北方のベルファーストで建造され、その最後の寄港地が南のコークであったというのはどういう運命だったのだろうか。

タイタニックだけでなく、造船所も厳しい運命を辿る。世界の造船業の過酷な競争に勝てず、最後の船が建造されたのは2003年である。現在は長年培ってきた技術を生かして風力や潮力発電などの再生可能エネルギー設備を製造している。

1. Alfred Barnard, The Whisky Distilleries of the United Kingdom, Birlinn Limited, 2008.
2. McGuire, E. B, Irish Whiskey, Gill and Macmillan, Dublin, 1973.
3. Brian Townsend, The lost distilleries of Ireland, Neil Wilson Publishing, 1997.
4. Clark, Jim, An Interview with John Teeling of the Cooley Distillery, Ireland, wine Features, Published: April 2004.
(An Interview with John Teeling of the Cooley Distillery, Ireland)
5. Comber Whiskey :Wikipedia-The Free Encyclopedia
6. Connemara Peated Single Malt Irish Whiskey
7. Irish Distillers :Wikipedia-The Free Encyclopedia
8. www.potstill.de - The History of Irish Whiskey
9. The Dunville Family of Northern Ireland and Dunville's Whisky

*第51章でご紹介したミドルトンの新蒸溜所は100%新設された蒸溜所だが、旧蒸溜所の後継なので新しい蒸溜所とはしなかった。

** ダンヴィル社の歴史はMiles Holroyd 氏によってよく研究されている。参考資料の9.を参照されたい。