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稲富博士のスコッチノート

第51章 アイリッシュ・ウイスキー その1.ミドルトン蒸溜所

旧ミドルトン蒸溜所:最初1825年に建てられたこの蒸溜所は、1975年まで150年間操業した。現在は蒸溜所全部が博物館として保存され貴重な歴史遺産を残している。

ウイスキーの蒸溜はスコットランドよりアイルランドでより古くから行われていて、後年その技術がスコットランドへもたらされた、というのが定説になっている。

その根拠としてよく引用されているのが、第1に、5-6世紀に地中海地方でキリスト教を学んだアイルランドの僧が東方の技術である蒸溜技術を持ち帰り、後にスコットランドへ伝えたというもので、第2は「1174年にアイルランドへ侵入したヘンリー2世の兵士が、アイルランドではaqua vitaeが広く飲用されていると報告した」であるが、この引用の根拠は実は明確ではない。アイルランドで最初に明確に蒸溜酒に言及したのは1556年の法令で、1449年のスコットランドでの最初の記録にやや遅れる。アイルランドで蒸溜がはじまったのは何時か、スコットランドとアイルランドのどちらが古いか、は未解決の命題であるが、アイルランドで古くからaqua vitae(ゲール語ではuisce beatha)が飲用されていたのは間違いない。

アイリッシュ・ウイスキーの歴史は、その母国アイルランドと同じく劇的な変遷を経た。アイリッシュ・ウイスキーの歴史と現状を辿ったが、先ずはアイルランド最南部の町コーク郊外にあるミドルトン蒸溜所を訪ねた。

アイリッシュ・ウイスキーの経緯

17世紀以降アイルランド中でポティーン(Poteen)といわれる蒸溜酒の自家製造が広く行われるようになっていた。取締りは何回も強化されたが、19 世紀入っても一向に衰えず、1832年から1875年までの43年間にアイルランドで摘発された密造用蒸溜釜は11万基以上、同じ期間にスコットランドで押収された密造用のスティルが約5,800基だったのでその約19倍に当たり半端ではない。ウイスキーつくりがいかに人々の生活に浸透していたかを物語る。

19世紀後半に、ジャーナリストのアルフレッド・バーナード(Alfred Barnard)は大ブリテン連合王国にある全てのウイスキー蒸溜所を訪問し記録を残した。その時に訪問した蒸溜所は、スコットランドで129、アイルランドで28、イングランドは4であった。当時、アイルランドの蒸溜所の平均的な規模は大きく、市場でもアイリッシュ・ウイスキーはスコッチに拮抗する勢力であった。

しかしながらその後20世紀に入ると、アイリッシュ・ウイスキー産業は急速に衰退する。挙げられている主な原因として、新市場の消費者が軽い風味を望んでいるにも関わらず、ブレンデッド・ウイスキーを無視し、伝統的なポット・ウイスキーに固執したこと、政治的な紛争から英国に市場から締め出されたこと、アイルランド国内での禁酒運動の高まり、アメリカの禁酒法時代とその後のアメリカ市場の将来を読み間違ったことが挙げられている。

バーナードが訪問した28蒸溜所の大半が閉鎖や統合され、現在アイルランドで操業しているウイスキーの蒸溜所は3箇所だけになっている。南部のミドルトン (Midleton)、ダブリンの北約67マイルのクーリー(Cooley)それと北アイルランドのブッシュミルズ(Buchmills)蒸溜所である。

旧ミドルトン蒸溜所

コーヴ(Cobh)の港:タイタニック号が最後に寄港した。1912年4月11日、今は朽ちたこの桟橋から123人の乗客が艀に乗り沖合いに停泊していたタイタニック号に乗船した。生き残ったのはこのうちの44名だった。

アイルランド共和国南部の町コーク(Cork)。人口10万人強、メキシコ湾流の影響で気候は温和、椰子の木も育つ。市の南東にあるコーク湾は天然の良港で、湾岸にあるコーヴ(Cobh)の町は大西洋航路の基点であった。ここからは19世紀中頃からアメリカへ向かった2百50万人の移民やオーストラリアへ流された多くの政治犯が発った。1912年4月11日にタイタニック号が最後に寄港した港として有名であるが、過去はいささか暗い。

麦芽キルン(乾燥塔)のフロアー:発芽した大麦はこのタイル製のフロアーの上に乗せられ、下から石炭を炊いて乾燥した。現在の製麦工場ではフロアーは金属性のメッシュで出来ているが、フロアーの開口率が低いタイルでは乾燥に長時間かかった。

ミドルトン蒸溜所はコークの東約13マイルにある。ここに最初に蒸溜所ができたのは1825年のことである。ジェームス・マーフィー(James Murphy)兄弟が1796年に建てられた元紡績工場を買取り蒸溜所に改装した。1867年にはコークにあった他の4つの蒸溜会社と合併してコーク蒸溜株式会社となり、生産はミドルトンに集約した。ダブリンの強力な蒸溜会社との競争力を高めるためであった。この蒸溜所は150年間操業し、1975年の新ミドルトン蒸溜所の完成で生産は終了したが、蒸溜所そのままほぼ完全な形で保存され現在はジェームソン・ヘリテージとして多くの訪問者を集めている。 150年前のウイスキー技術を残す産業考古学的価値も高い。

水車:直径7mで鋳鉄製。後に渇水期に水車が使えない時に備えて蒸気エンジンが設置されたが、それまではこの水車が蒸溜所で必要な動力を全て賄った。

当時のアイリッシュ・ウイスキーのつくり方の概略であるが、主原料として麦芽と未発芽の大麦を用い、それに場合によってはオーツ、ライや小麦も使われた。まずこれらの原料を粉砕するが、粉砕工程は蒸溜所で最も大きな動力を必要とする。この動力に1850年から使われた大型の水車が保存されていて一際目を引く。

粉砕された原料を糖化し、酵母を加えて発酵させてアルコール分約7.5-8%のもろみが出来ると、これをポット・スティルでアイリッシュ・ウイスキー伝統の3回蒸溜を行う。3回蒸溜法では溜分をどのように再度蒸溜するかによって数多くのバリエーションが可能であるが、旧ミドルトン蒸溜所では次のような方法がとられていた。

初溜釜:張込容量130キロリットル以上で、世界最大。加熱には下から石炭を炊き、1回の蒸溜に12時間以上を要した。大量のもろみを長時間かけて蒸溜するのは、かって釜の使用回数に応じて酒税が課された時に、使用回数を減らし税の節減を図った為である。

1回目の蒸溜はまずもろみを初溜釜に入れ、溜出してくる溜液をストロング・ロー・ワイン(Strong low wine)とウイーク・ロー・ワイン(Weak low wine)に分ける。2回目の蒸溜は、このストロング・ロー・ワインをフェイント・スティル(Feints still)で蒸溜し、溜出区分をストロング・フェインツ(Strong feints)とウイーク・フェインツ(Weak feints)に分ける。1回目の蒸溜で得られたウイーク・ロー・ワインと2回目の蒸溜で生成したウイーク・フェインツは再度蒸溜してストロング・フェインツとウイーク・フェインツに分ける。最終のスピリッツ・スティルにはストロング・フェインツに1回目に蒸溜されたストロング・ロー・ワインを一部加えて蒸溜し、出てくる溜分は前溜(Foreshot)、中溜(Middle cut又はSpirits)、後溜1(ストロング・フェインツ)と後溜2(ウイーク・フェインツ)に分ける。製品になる中溜区分のアルコール分は75%である。以上のように非常に複雑で、3回蒸溜と言っても単純に3回ではなく2回から無限回の間ということになると思われる。こうして得られたスピリッツはオークの樽に詰められ、貯蔵熟成される。

新ミドルトン蒸溜所

新ミドルトン蒸溜所:多様な品質のポットおよびグレーン・ウイスキーを生産する複合蒸溜所。原料に大麦を使う伝統的なアイリッシュ・ウイスキーを生産しているのはこの蒸溜所だけである。

1966年、長年低落傾向にあったアイリッシュ・ウイスキー業界にあって残っていたコーク、ジェームソン(Jameson)とパワーズ(Powers)の 3社は存続をかけて合併を決意、アイリッシュ・ディスティラーズ社(Irish Distillers Ltd=IDL)が誕生した。生産も集約化することになったが、ダブリンの中心街にあったジェームソンとパワーズの蒸溜所は拡張の余地もなく操業にも不便なことから閉鎖し、広大な敷地と豊富で良質の水に恵まれているミドルトンに新蒸溜所が建設された。新ミドルトン蒸溜所は1975年に完成した。

ミドルトン・ベリー・レア:12年から20数年の原酒を厳選したブレンデッド・アイリッシュ。年間数十樽限定。優しい口当り、デリケートな大麦フレーバー、絶妙のバランス、余韻のある後味を持つ。

新蒸溜所は非常によく考えて計画された効率的な蒸溜所である。IDL社の全てのブランドに必要な品質のポット・ウイスキーとグレーン・ウイスキーを生産するのだが、そのために種々の新らしい技術が採用された。ビールで使われている仕込槽と仕込技術、4基のポット・スティルと連続式蒸留機の組合せのよる多様な品質のポット・ウイスキーの蒸溜、ブレンド用のグレーン・ウイスキーの生産等である。貯蔵熟成には、バーボン樽とシェリー・ウッドが使用されるが、この 2種類の樽では熟成後の品質の特徴が際立って異なるので、その特徴を生かして種々の製品のブレンドが行われる。かってポット・ウイスキーが主流であったアイリッシュ・ウイスキーであるが、多くの消費者の嗜好が軽く、すっきりした味わいを求めていることもあって、現在ではブレンドが大半になっている。

長年苦境にあったアイリッシュ・ウイスキーであるが、目覚しい復活を遂げ、最近では最も急成長しているウイスキー・カテゴリーに上げられている。かつてのライバル会社を統合、伝統ある蒸溜所を全て閉鎖してミドルトンに蒸溜所を集約、新技術を導入し消費者の嗜好にあった商品に変革していった決断が成果を生んだ。

1. Malachy Magee, 1000 Years of Irish Whiskey, O'Brien Press Ltd., 1991.
2. James Murray, Irish Whiskey Almanac, Prion Books 1994.
3. E. B. McGuire, Irish Whiskey, Gill and Macmillan 1973.
4. Alfred Barnard, The Whisky Distilleries of the United Kingdom, Birlinn Limited 2008.
5. Michael S. Moss and John R. Hume, The Making of Scotch Whisky, Canongate Books Ltd., 2000.
6. Poitín :Wikipedia-The Free Encyclopedia
7. Poteen - The Guid Ould Stuff :AncientWorlds