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稲富博士のスコッチノート

第45章 スマッグリング(Smuggling)の話 その3.運び屋スマッグラー

スコットランドで、何百年に亘ってそれこそどこででも行われていたウイスキーの自家製造は、18世紀から19世紀にかけて自家や近隣での消費という日常生活の中での営みから脱して、より広範囲な市場で販売して利益を得るというものに変わって行った。この背景には、密造者の生活がかかっていた事、産業革命やヨーロッパ、アメリカ、その他の植民地との交易の拡大で、スコットランド中部の各所で都市が発展し酒の需要が増加した事、加えて折からのナポレオン戦争で戦費の嵩んだ英政府は酒税を上げた事があり、ここに密造酒が蔓延る環境が整ったといえる。

ハイランドの運び屋スマッグラー

スマッグラーの道:グレンリベット蒸溜所の南西数kmの山中の小道である。スマッグラーは、密造酒を入れた小樽をポニーに乗せこのような細い踏み跡を移動した。

ポニー:ポニーは毛むくじゃらで、短足、骨太、太く短い首、分厚い胴をもち、馬高は13-14ハンド(約1.4m)と低く、競走馬のようなかっこよさはみじんもないが、頑健で長時間の重労働に耐え、ハイランドからウイスキーを密輸送するのにはもってこいであった。

コルガーフ城:ハイランドからパースに向かうスマッグラー・ロード近くにある。15世紀に建てられた城は、地方の豪族間の争いから何回も焼失したが18世紀中頃から政府のものになった。ジャコバイトの反乱に備えるのが目的だったが、後に密造ウイスキー取締りの拠点となった。

ハイランド・グレンの奥深くで密造されたウイスキーは、北はモレイ湾岸のエルギン(Elgin)やフォハバー(Fochabers)、東海岸のアバディーン(Aberdeen)、南はパース(Perth)やダンディー(Dundee)に運ばれた。すでに大都市だったグラスゴーへは西方の半島や島々で密造されたウイスキーが海路運び込まれた。

密造小屋での密蒸溜も危険な仕事であったが、この運び屋の仕事は更に過酷でリスクの大きな仕事である。リベット渓谷からパースまでは140km以上の距離があり、それを荒涼とした山間のわずかな踏み跡を数日間かけて行くのである。難路に加えて不順な天候と、なにより取締りにあたる徴税官(タックス・オフィサー)が常に目を光らせており、荒っぽい衝突もしばしばだった。

このウイスキーの運び業は、密造者でなく危険な仕事を業とする運び屋スマッグラーが請け負った。輸送に使われたのは小型のハイランド・ポニーである。ポニーにはアンカー(Anker)と呼ばれる約10ワイン・ガロン(38リッター)入りの樽2ケを胴の両側に振り分けにして乗せた。スマッグリングが組織的に行われた時には、何十頭ものポニーを数珠繋ぎにしたポニー・トレインに、10人、20人というスマッグラーが付き添った。スマッグラーは棍棒やピストルで武装し徴税官の摘発に備えた。昼間は目立たない場所に身をかくし、見通しの良いところに見張りを立てて夜になって移動した。

徴税官は損な役回りであった。村のほとんどが密造者というところでは職務を忠実に行うことは無理で、コミュニティーに順応して‘上手く'生きてゆくしかなかった。忠実に職務を行えば民衆を敵に回し、人気がなくなるだけでなく身に危険が及んだ。スマッグラーに関する逸話やジョークは数多あるが、その中ではスマッグラーは賢くて勇敢、狡猾だが、徴税官は間抜けで臆病、失敗ばかりやっていると相場が決まっている。それでも、手を拱いていたわけではない。密造や運び屋の摘発には軍隊の支援を受けて出動した。リベット・グレンからアバディーンやパースに向かうにはブレーマー(Braemar)を経由するが、そのブレーマーの北にあるコルガーフ(Corgarff)城には小隊規模の軍隊が駐屯しており、徴税官の保護と支援にあたった。

輸送にはポニーだけでなく、道路が使える場合は荷車も使った。ポニーでの夜間移動より当然徴税官の目にとまりやすいが、スマッグラーは樽のカモフラージュに知恵を尽くした。農産物や干し草の下に隠すのはよくある手だが、堆肥の下に隠したものは検査に難儀しただろう。小型の樽を棺桶に入れ、葬儀の列になり済ます手も使われた。懇意にしていたスマッグラーから、ウイスキーが運ばれるという情報を得た徴税官がずっと監視していたが、まさか葬儀の列に隠されているとは気付かず、棺の密造ウイスキーに向かって帽子をとり、深々と頭を下げて敬弔したという話もある。

スマッグラーは向かった目的の町へ直接樽を持ち込むか、より安全な手として郊外の秘密の受渡し場所で取引を行った。密造ウイスキーの買い手はウイスキーを樽から小さな容器に小分けして町中に運んだが、小分け用の容器には服の下に隠しても目立たない羊の膀胱も使われた。この密買者はブラッダー・マンと呼ばれたが、ブラッダー(Bladder)は膀胱のことである。有利な条件で取引を終えたスマッグラーは空になった樽をポニーに乗せ、意気揚揚と帰途についた。

密造ウイスキーが辿り着いた最終の消費場は町中や都市のバーや旅籠屋である。ハイランド・ウイスキーの品質が優れていたといっても、劣悪な原料と条件で蒸溜され、せいぜい何カ月かしか樽に入っていなかったウイスキーは、しょっちゅう異味異臭がし、荒々しい味わいであったが、農民、木こり、工場労働者、船乗り、馬車曳きなどの肉体労働者にとっては厳しく長時間の労働の後に‘ぐいっと飲る'のは堪えられなかった。

ハイランドの密造ウイスキーを好んだのは労働者に限らなかった。19世紀初頭の英国国王はジョージ四世で、1822年にエジンバラに行幸された時にはわざわざグレンリベットを所望されたというが、この当時のグレンリベットは密造である。国王自ら自分が制定した法の禁を犯してまで希望した素晴らしいウイスキーということになるが、この話はちょっと出来すぎで、おそらく国王のエジンバラ訪問の行事をすべて取り仕切ったウォルター・スコットの差配によるとの説もある。

クライド河口のスマッグリング

クライド川河口:グリーノック関税所の前から見たクライド川河口である。グラスゴー市内を流れてきたクライド川はここで海とつながる。17世紀から19世紀にかけて多くの船が往復したが、密貿易も多かった。

グリーノック関税所:1818年にグリーノックが重要な貿易港だった時に建設された。設計は、スコットランドのバロニアル・スタイルで知られる William Burn。第一級保存指定の建造物であるが、今でも実務に使われている。小規模だが、スマッグリング取り締まりに関する博物館がある。

密造用のポット・スティル:グリーノックの関税所に保存されているこのポット・スティルは奇異な歴史をもつ。イタリア製でスーダンのハルツームの戦いの時、英国のゴードン将軍が砂漠で水を蒸溜するために使用した。将軍の死後英国に運ばれ、ウイスキーの密造に使用されていた。

スマッグラーが暗躍したのはハイランドだけではなかった。スコットランドの西岸は多くの半島、入り江と島々が交錯した複雑な地形で、ここもスマッグラーにとって絶好の活躍場所であった。中でも、大都市グラスゴーの西側に位置するビュート島やアラン島、さらに西のキンタイヤー半島では密造が猖獗を極め、その猛威で正規のライセンスをもった蒸溜業者は多くが倒産した。これらの地域でつくられた密造ウイスキーは、大都市グラスゴーをめざしてボートで運ばれた。

グラスゴーの中央を流れるクライド川南岸の河口にグリーノック(Greenock)という町がある。現在使われているハイランド・ラインの西の起点で、かって造船と貿易で栄え、蒸気機関で有名なジェームス・ワットの生地で知られている。1707年のスコットランドとイングランドの合併から、海外との交易権を得たスコットランドが、アイルランド、アメリカや西インド諸島と貿易するときの港として使われた。この貿易を管理し、関税を徴収する目的で置かれたのがグリーノック関税所で、海外貿易だけでなくスコットランド南西部地域の徴税やスマッグリングの取締りも行った。

徴税官は、カッターという一本マストの小型帆船に乗り、周辺の海を航行するスマッグラーや、海岸の洞窟で行われる密造を捜索し摘発した。グリーノックの関税所に博物館があり、徴税官が使用した検査用の物差し、比重計、温度計、没収の様子を写した写真、当時の密造の様子の複製などが展示されている。写真の一枚は1922年とあるから密造はなかなか無くならないようである。

スマッグリングの経済

過酷な仕事と多くの危険を冒して行われたスマッグリングだが、その経済的メリットはどうだっただろうか。時代とともに変わるが、ウイスキー史家のスミス氏の本の例では、1888年時に大麦クオーターの価格が23シリング、それからウイスキーが約15ガロン取れ、その売り上げが285シリングになったというから、燃料や輸送の諸費用、蒸溜や輸送中に自分たちがたっぷり飲み、友人や身内に気前良くふるまった分を差し引いても、23シリングの元から10倍くらいの利益があったとある。これではスマッグラーにとって堪えられない誘惑だったに違いない。ハイランドの密造村では、1823年の法改正以降密造が急減、それと共に人口も大きく減ったというから密造がそれまでの村の経済を支えていたのは間違いないところである。

1. Gavin D. Smith. The Secret Still, Birlinn Limited, Edinburgh, 2002.
2. Derek Cooper & Fay Godwin. The Whisky Roads of Scotland. Jill Norman, 1982.
3. Francis Thompson. Highland Smugglers, Graphis Publication, Inverness, 1972.
4. J, R, D Campbell. Clyde coast smuggling or Clyde cutters and Smugglers, St. Maura Press, 1994.
5. Smugglers' Britain
6. Highland Ponies
7. Corgarff Castle :Undiscovered Scotland
8. Customhouse Quay :Nostalgic Greenock