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稲富博士のスコッチノート

第4章 大麦

2条大麦(左)と6条大麦(右)。2条大麦は穂の両端の種子だけが結実したもので、粒が揃って大きくウイスキーやビールの製造に使われる

スコッチウイスキーの生産には大麦、小麦、とうもろこし等の穀類が用いられるが、何といっても主役は大麦である。大麦の麦芽だけを原料にして兜釜で蒸溜されたモルトウイスキーの芳醇さは類い稀だし、小麦やとうもろこしを主原料にしたグレインウイスキーの生産にも麦芽の強力な澱粉糖化酵素力が使われる。現在スコットランドでの大麦生産は約170万トン、その内約70万トンがウイスキーやビール等の醸造用に製麦されていて自給自足出来又輸出もされている。

Orkney島、Skara Bareの遺跡。5000年前の集落跡で大麦が出土

寒冷な気候でも生育する大麦はスコットランドにとって古くから最も大切な穀類であった。数千年前の石器時代に農耕が始まった時から広く栽培されたらしく、多くの遺跡から大麦の穀粒、籾、藁等が発見されていて、当時の人々は大麦を挽いて粥やパンをつくり又ビールも造ったと考えられている。これらの遺跡から見つかっている大麦はほとんどが6条大麦で、現在スコットランドでビールやウイスキー用に栽培されている2条大麦はごく近年導入されたものである。

1494年のスコットランド王室の会計記録。Photo©SHU TOMIOKA

スコッチウイスキーに関する最古の公式記録は1494年のスコットランド王室の会計記録にある。原本が現在もエジンバラの中央登記所に保管されていて、子牛皮の巻物にラテン語で"王の為にアクアヴィタエ(命の水、蒸留酒の事)を作らせるので、修道僧ジョン・コーに麦芽8ボールを支給"と書かれている。ボールはスコットランドの古い単位で、1ボールは現在の63.5kgに当たる。従って8ボールは508kg。現在の良質の麦芽を使うとこの8ボールから100%アルコールに換算して約200リットルのウイスキーが出来るが、"Bere"(ベアー)という当時の大麦の品質や製麦・醸造の技術ではとても200リットルは無理で半分以下だっただろう。

大麦を収穫中のバーヴェスター。農業効率化の主役の一つ。(かって馬が使役の主役だった頃は全英で数百万頭の馬がいたという)

英国での大麦の品種改良の歴史をたどってみると、過去100年間、特に最近の50年間に目覚ましい成果を上げたことが分かる。栽培技術の向上とあいまって反収は1900年頃のヘクタール当たり2トンから、最近は5トン以上に、実に2.5倍になっている。収穫された大麦の品質も向上し、麦芽1トンから出来るウイスキーの量も1900年当時は300リットル(100%アルコール換算)程度だったものが、最近では 410-420リットルまで上昇した。この効率化は大麦の品質向上要素が60%、醸造技術向上の要素が40%と言われている。農場での2.5倍のアップに加えて品質向上で後工程での効率まで大幅に上昇するので、農業技術進歩の効果は"凄い"と言わざるをえない

もうすぐ収穫をむかえる2条大麦。Scotland Pirthshireにて、2001年8月24日写

スコットランドでの大麦栽培と製麦工業はイングランドに比べて長年低迷していた。 スコットランド在来種の"Bere"に限らず、長年スコットランドで栽培される大麦は質、量ともイングランド産に比べて大きく劣っていた。 結実期の夏の日照時間が長いという点は良いが、播種から収穫までの期間は短く、また収穫の8月後半から9月中旬にかけての天候不順は色々の問題をもたらした。 1885年Stopesによって書かれた最初の製麦に関する技術書によると、イングランドの大麦に比べてスコットランド産の大麦は硬いガラス質ばかりで製麦し難く、 麦芽にしても抽出できるエキス分が10%以上も低い等イングランド産との競争力は全く無かった。1725年麦芽税の導入を巡って起きたグラスゴーの反対暴動は、 英国と同じように課税されては農業も醸造業もとても成り立たないスコットランド産大麦の競争力の低さが背景にあった。

よく熟した大麦の穂

この低迷を打破し農業と製麦工業の両面でスコットランドを大麦と麦芽の自給・輸出国にまで高めたのは、第1は、スコットランドの気候に適した新品種、Golden Promise(*)の開発である。 1960年代始めに登場したこの新品種はスコットランドの気候に適し、又当時のイングランドの優良品種に負けない製麦特性を持っていた。第2は、この大麦に着目してスコットランドで製麦工場を 興した起業家技術者であった。スコットランドでの工場建設を提案して会社に認めてもらえなかったので、会社を飛び出して自分で工場を作ったのだが、これがきっかけとなって今では農業と製麦工業の 両面で冒頭に述べたように盛隆をもたらした。

Bere Bannock(ベアーバノック) Bere大麦から作ったパン。Orkney島だけで作られている。ベアー大麦の粉の比率が多いと色が黒く(左)、小麦粉を混ぜると白くなる(右)。

はじめにスコットランドの在来種大麦"Bere"(ベアー)の話をした。この大麦はスコットランドの短い夏の気候に適応して早期に成熟するが、低収量、収穫後しばらくは発芽しない休眠期が長くてなかなか製麦にかかれない、粒が硬くて製麦し難い、蛋白質が多くて澱粉が少なく、従ってウイスキーにしても、ビールにしても収率が低い等の理由でほぼ姿を消してしまった。ただ一箇所、スコットランド北方の島Orkneyでごく少量栽培されていて、これから"バノック"と言う地元だけで消費される大麦パンが作られている。先日Orkneyへ行った時に食べてみたが、こんがり焼けた大麦の香ばしさが際立ってなかなか美味であった。 スコットランドの民族詩人ロバート・バーンズは大麦を謳った詩"John Barleycorn"をこう終っている。「さあ諸君、John Barleycornに乾杯だ。杯を持ってくれ。彼の末裔がこのスコットランドで絶える事の無い事を祈って」

*Golden Promiseは1960-70年代スコットランドで最も広く栽培されたが、現在では新しい品種に取って代わられている。 今でもこの大麦に執着する醸造家がいるが、彼らは農家と特別契約をして栽培してもらっている。