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バランタイン17年ホテルバー物語

ザ・プリンス パークタワー東京 スカイラウンジ ステラガーデン

第11回 「バレンタイン・セレナーデ」

作・達磨 信  写真・川田 雅宏

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。

  星々が謳っている。そう思えた。ホテル最上階にあるこのスカイラウンジの名は、たしかステラガーデンだった。
  眼前に大夜景が広がり、まさにステラだ。光源はビル群のひとつひとつの部屋から放たれる灯火やクルマのライトの流れではあるが、摩天楼を取り巻く光の渦はミュージカルを想起させた。世界都市はいま、昼間のオペラ的ダイナミズムから幕を転じ、夜のレクイエムに包まれながらブルースを口ずさんでいる。
  主題となる歌曲的な役割のショー・チューンはやはり東京タワーであろう。時折瞬きするように色調が変わる。まるで主役の男女のパートが変わるかのように歌声の響きが異なっていく。
  ウイスキーのオン・ザ・ロックが手元にある。これもミュージカルのパートを担っている。バーテンダーが氷をグラスに入れ、ウイスキーを注ぐ、客がそのグラスを傾ける。この一連の振り付けにはすべて輝きがある、音色がある。
  美雲は、こんな見事な眺めがあるとは思ってもみなかった。手の届くような距離に東京タワーがある。彼が座るカウンター席は一段高い場所にあり、タワーの尖塔までを仰ぎみることはできないが、それでもライトアップされた華やぎは存分に味わえる。カウンターは黒い御影石か。肘掛けのある座り心地のいいチェアも黒。ライブを愉しむ観客席はすべて漆黒に包まれている。

  チーフバーテンダーであろう。胸に森の名札を付けた彼がロックをつくりながらこんなことを教えてくれた。
「晴れの日は夕暮れまで富士山も見えます。そして宵の口の空が赤く染まる中、東京タワーが忽然と浮かび上がるようにライトアップされ、とてもドラマチックです。その時間帯を東京マジックタイムと呼んでいます」
  さらには24時きっかりに東京タワーのイルミネーションが消えるのだが、その瞬間を一緒に見つめたカップルは幸せになるという都市伝説もあるらしい。
「わたしにしてみれば、夜が更けても東京マジックタイムはつづいている。とても新鮮な気持ちです。なんとも素晴らしい夜景だ」
「もうすぐバレンタインデーです。その夜のシートは恋人たちに独占されます。あそこからですと、タワーのトップまで眺められますから」
  腕時計を見ると10時をまわったところだった。バレンタインデーにはまだ数日あるというのに、カウンター前の下部にあたるテーブル席のシートは徐々に男女のカップルで占められてきている。東京タワーの灯が消えるまでの2時間近く、彼らは愛を囁き合うのだろう。そして灯が消えればこの都市はカタルシスのセレナーデを奏ではじめるのだろう。
  ふとマイルス・デイヴィスのブルージーな『マイ・ファニー・バレンタイン』が耳の奥で流れはじめた。

  この曲の歌詞の内容を教えてくれたのはローレンだった。
  20年前、デザイナーとして勤めていたアパレルメーカーを辞め、独り立ちを夢見てファッションの再勉強のために渡欧した。ロンドンで同じ志を抱いたイタリア系の血が入ったスコットランド人のローレンと出会い、やがてパリで同棲生活を送るようになる。
  それは15年前、パリのジャズのライブ・ハウスで、ちょうど1ステージ終わったところだった。
「このバランタインはわたしの大好きなウイスキー。そして、あなたは」
  そう言って、いい心地になっていた彼女はクスクスと笑いはじめた。しばらくして「あなたは、マイ・ファニー・バレンタイン」とハスキーな声で囁いた。
  典型的な日本人の顔で、歌詞を借りれば笑っちゃうような顔。ビジュアル的ではないし、スタイルはギリシャ彫刻に遠くおよばない。けれど、わたしにとっては何よりもかけがえのない芸術作品なの。
  ローレンは小さな声で曲を口ずさみながら、詩の説明をし、愛情を示してくれた。後になって、なんてロマンティックな夜だったのだろうと懐かしむようになるのだが、あのときは複雑な心境としか表現しようがない。嬉しくもあり、ショックでもあった。ただ、自分を客観視すれば、日本人の男として中肉中背、ルックスも並の部類と認めざるを得ないので苦笑するほかはなかった。
  美雲は「俺のラストネームは美しい雲って言うんだ。俺は美しいんだ」と言い返した。それからというものローレンは美雲のことを「美しいクモさん」と変な発音のたどたどしい日本語で呼ぶようになる。
「マイ・ファニー・バレンタインですか。素敵なメロディーですよね」
  森が微笑んでいた。いつの間にか美雲は歌を口ずさんでいたらしい。
「失礼。つい、うっかり」
  美雲は慌てて謝った。
「いえいえ、大丈夫です。わたしにしか聴こえてはいません」
「よかった。ところで、あなたは、この曲の歌詞をご存知ですか」
「詩の内容までは理解していません。よろしければお教えいただけませんか」
  美雲は丁寧に森に解説した。
「すると、必ずしも見栄えのよくない相手を恋人が讃えている、という詩ですか。世の中、映画に登場するような美男美女のカップルというのは稀ですもの。共感できます。ますます曲が好きになりました。ありがとうございます」
  森はこう答えた。このバーテンダーは賢者だと美雲は感じ入り、正直に返した。
「偉そうにお話したが、わたしも人から教わりました」

  美雲はパリに暮らしつづけている。自称ファッションデザイナーであるが、実のところ古着商で成功した。パリ、ロンドン、グラスゴー、ベルリンに店を持ち、3年以内にイタリア、スペインにも拠点を設ける計画が進んでいる。
  ローレンはハリウッドの映画の世界で名を成した。彼女が手がける衣裳は見事で、アカデミー賞に何度もノミネートされている。
  ふたりはいまでも恋人である。離れて暮らしているがローレンはパリにしばしばやってきて、美しいクモさんに無理難題を投げてよこす。美雲は彼女が衣裳を携わる映画のためにヨーロッパ中を駆けまわることになる。そんな生活がもう10年以上つづいている。
  今回は互いに休暇を取った。はじめて東京で落ち合い、ふたりで日本を旅する。
  このザ・プリンス パークタワー東京を予約したのはローレンだ。将軍のお墓のあるお寺やエッフェル塔みたいなタワーがすぐ傍にある、江戸と東京を同時に体験できるホテルだとはしゃいでいた。明日になれば彼女が日本にやってくる。明後日、遅い朝を迎えたらすぐに散歩に出かけるだろう。増上寺、東京タワーとホテル周辺を歩きまわるはずだ。
「ライトダウンに立ち会いたいのですが、体力が今夜はありません。久しぶりに日本に帰国して時差ボケなもので、ナイトキャップになるようなカクテルをお願いしたい」
「かしこまりました。バランタイン17年がお好きなようですから、このウイスキーの甘美さに、よりふくらみのある甘さを加えましょう。寝酒としてふさわしい味わいです」
  森が柔らかい笑みを浮かべながら、素早く対応した。洗練された動きに惚れ惚れとする。日本のバーテンダーは世界一優秀だと思う。
  ワイングラスにバランタイン17年、そしてアーモンド風味のリキュール、ディサローノ・アマレットを1ティースプーン入れ、グラスをよくステアする。それをクラッシュドアイスがたっぷり詰められたロックグラスに注ぎ、レモンピールを擦り、グラスに浮かべた。
  ひと口啜ると気品のあるふくよかな甘さに身もこころも弛緩されていくような気がした。秀逸なセレナーデの調べに酔う心地だ。
「ゴッド・ファーザーというカクテルのアレンジで、ミスティ・バランタインといいます。男性が格好よくグラスを傾けられる一杯です。ウイスキー好きの女性が口にすれば、これもまた、なかなか粋ですね」
  森が落ち着いた丁寧な口調で言った。
  明日の夜はローレンをここに誘おう。セレナーデのようなミスティ・バランタインをふたりで飲もう。スコッチとイタリアのリキュールはローレンの血脈にも通じる。そして森とミュージカル『東京マジックタイム』のチカラがあれば、彼女は「マイ・ファニー・バレンタイン」と言ってくれるかもしれない。
  窓際のシートでは恋人たちが愛を囁きつづけている。
(第11回「バレンタイン・セレナーデ」了)

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。 登場人物
美雲(ファッションデザイナー)
森祐介(ステラガーデン、バーテンダー) 森祐介(ステラガーデン、バーテンダー) 協力 ザ・プリンス パークタワー東京 105-8563
東京都港区芝公園4-8-1
Tel. 03-5400-1111(代表)

スカイラウンジ ステラガーデン
Tel. 03-5400-1154(直通)
17:00~2:00(土・祝日前日15:00~2:00/日祝15:00~24:00)

バランタイン17年 ¥2,000
ミスティ・バランタイン ¥2,000
ウイスキー ¥1,500~
カクテル ¥1,700~
オードブル ¥800~
(料金にはサービス料、消費税が含まれています)
チャージ ¥1,000(宿泊客 ¥500)

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