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バランタイン17年ホテルバー物語

リーガロイヤルホテル LEACH BAR

第10回 「新年に誓う」

作・達磨 信  写真・川田 雅宏

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。

  銅製のマグカップからライムの爽やかな香りが浮遊し、鼻をくすぐる。神近はひと口含み、冷たく冴えたジントニックの風味を口中でほぐしながらゆっくりと喉に流し込む。すると体中が清々しく目覚めるような気がした。
「よかった。また今年の1月も、中島さんのジントニックが飲めた」
「何をおっしゃいます。来年も再来年もずっと飲んでください」
  バーテンダーの中島がいつもの屈託のない笑顔で答えた。
「わからんよ、来年は。今シーズンで引退するかもしれない」
「あれほどまでに世界中を湧かせたプレーヤーが何をおっしゃいます」
  昨夏、スコットランドで開催されたメジャー大会で、神近はプレーオフの末に敗れた。世間は“神近復活”と讃え、“日本人初制覇ならず”と残念がった。
  実は、首位タイとなった最終18番のバーディーパットで精根尽きていた。アウトを終えるあたりから慢性化していた右手首の痛みが気になりはじめる。同時にリンクスコース特有の冷たく強い海風が吹き荒れ、寒さもあって手首の感覚が麻痺していた。それでも18番ではポテトチップスのようにうねったグリーンを読み切り、20メートル以上ものロングパットをねじこんだ。
  誰もが「奇跡のパット」と言うが、最後の気力を振り絞った意地の1打だった。ボールがカップに吸い込まれた瞬間、安堵感に満たされたのを覚えている。
  痛みを超越した右手首の痺れが、その後のプレーオフは戦いではなく、敗者が讃えられるための格好の舞台となることを告げていた。

  「中島さんのジントニックを飲むと、先代のことを思い出す」
「まさか、バーにいらっしゃる前、またフカヒレの姿煮のおそばの夕飯ですか」
「うん。大阪に来た時の、リーガロイヤルでのお楽しみコースとなっている」
「律儀ですね。先代が天国で喜びながらも、苦笑されていますよ」
  12年ほど前、ツアープロのテストに合格してすぐに、まったく縁のない大阪が本社の工作機械メーカーから契約の話が持ちかけられた。神近が知らない社名だったが、周囲から世界有数の企業だと教えられた。
  テストに合格しただけで実績もなく、ツアーで活躍できるかどうかも未知数の人間になぜ声をかけてきたのか、不思議だった。
  リーガロイヤルホテルを予約されて来阪する。国内外の皇室や国賓クラスのV.I.P. もお泊まりになる、大阪の迎賓館といわれるホテルのロビーで緊張しながら待っていると、小柄ながら威勢のいい爺さんが現れた。それが先代社長だった。
  早速にホテルの中国料理レストラン「皇家龍鳳」に入り、先代がオーダーしたのは“フカヒレ姿煮入りスープそば”だった。「いつものフカヒレラーメンをふたつ」と言って、他には何もオーダーしない。初対面の気遣いはまったくなく、それが愉快だった。次にリーチバーのカウンターに移ると、またこちらへの気遣いもなく「ジントニックをふたつ」とオーダーした。
  中島がふたりの前にマグカップを置くと、先代は目を細めてひと口すすり、「うん」と頷いてから神近に顔を向けると一気にまくしたてた。
  父親の跡を継ぎ、自分は二代目だ。そろそろ企業としてしっかりとした社会貢献をしなくてはならない。それが使命だとも思う。長年マシーンをつくりつづけてきたから自然環境に目を向けた。植樹をすすめようと考えている。
  着想はこのリーチバーにある。壁は籐を糸で結び合わせた籐蓆(とうむしろ)というものだ。その昔、柳宗悦らとともに日本の民芸運動に足跡を残した英国人のバーナード・リーチの意向を基につくられた部屋がこのバーで、テーブルや椅子のしつらえも見事だ。コテージ風らしいのだが、柳宗悦の“民芸には健康の美、正常の美がある”との言葉を見事に具現化していると感じている。
  「健康の美、正常の美は自然が命やからな。そんで神近さん、あなたにイメージ・キャラクターになって欲しい、という訳なんや」

  30歳を過ぎてやっとツアープロのテストに合格したとき、神近のユニークな経歴をあるゴルフ雑誌がコラムに取り上げた。
  大学卒業後、故郷の東海地方の高校で2年ほど生物を教えるが肌に合わず、富士山麓にあるゴルフ場のコース管理へと転職する。代々造園業を営む家の三男に生まれ、父親がいくつかのゴルフ場の植栽を手がけていた縁からすんなりと受け入れてくれた。グリーンキーパーとしての仕事をしながら小学校からつづけていたゴルフを楽しむつもりが、そこのクラブの社長のすすめもあっていつの間にかプロへの道を進むようになった。
  コラムを読んだゴルフ好きの先代は、こういう男がイメージ・キャラクターにふさわしいと直感したという。周囲は、家業やコース管理という仕事の関連もあるが、実績がないからギャラを叩ける、との思惑もあるのだろうと揶揄した。ところが提示された契約料は思いのほかよかった。
  最初のシーズン、夏前にマンデートーナメントから勝ち上がって本戦の決勝ラウンドまで進み、3位になったのを皮切りに何度か10位以内入りを果たし、2年目のシード権を獲得する。自分でも驚くほどの快進撃だった。先代は用意周到で、3年目にツアーの冠スポンサーとなり、そこから神近をイメージ・キャラクターとして巧く使うようになる。植樹運動の企業広告も打ちはじめた。
  その年にはツアーで2回も優勝し、企業名も神近も全国区となった。
  ただし、右手首を痛めたここ5年は年間シード権を獲得するのがやっとになっている。それでも先代は神近の支援をつづけてくれた。
  昨夏、スコットランドでのメジャー大会に出場できたのは出場資格を得られる当該試合で資格ギリギリの4位に入ったからだった。出場を喜んだ先代はリーチバーのカウンターで、皺だらけの乾いた手で神近の右手首をさすりながら「応援に行くから、絶対に決勝ラウンドに残ってくれ」と祈った。

  中島がウイスキーのオン・ザ・ロックをつくり、神近にすすめてから言った。
「先代は帰国された次の夜にお見えになられて、何度もこう繰り返されていらっしゃいました。スコッチの国で、とても美味しいバランタイン17年を飲めた。神近さんのおかげや。2位だったけれど、あっぱれやった、と」
「そうおっしゃっていたのか。有り難い。でも、あの4日間、とくに最終日の悪天候の中で応援してくださったのが命を縮めた。申し訳ない」
  先代は応援の帰国後まもなくに肺炎を患い、あっけなく逝ってしまった。
「明日、本社に行かれ、社長にお会いになるんですよね」
  神近は頷いた。社長とは先代の息子、三代目のことである。すると、いつになく神妙な顔つきで中島は「社長からのご伝言です」と言って、こう語った。
  先代が亡くなったからといって、契約を解消したい、とは言わせない。右手首を痛められてから、神近さんはずっと引退を考えていらっしゃった節がある。たとえツアーから撤退するとおっしゃっても、契約はつづける。明日、契約を解消したいと申し出るつもりならば、会わない。
「なんだ、社長は、すべてがわかっているんだな」
「そうです。先代の息子さんですから。親子とも、眼力が鋭い」
「あの親子から、絶大な信頼を得ている中島さんも凄い」
「お陰さまで、と言いたいところですが、普段はイジラレ役です」
  そう言うと、先代が「中島の笑顔は人のこころを明るくする。あっぱれだ」と表現したように、にっこりと、温かい笑みを見せ、つづけて言った。
「引退されるかどうか、わたしが口を挟むべきお話ではありません。でも、新年に誓ってくださいませんか。最低でも5年は契約を延長すると」
「5年も。この役立たずのポンコツが、これ以上お世話にはなれない」
「あと5年で、契約された期間が、このバランタイン17年のエイジングと同じになります。こじつけですが、深く重層感のある味わいが生まれるかもしれません。17年以上熟成してみて、わかることもあるのではないでしょうか」
  中島は「生意気を言って申し訳ありません」と頭を下げ、さらにつづけた。
「植樹の活動も軌道に乗ったところではありませんか。これからですよ」
  こんなに真剣に言葉を重ねる中島ははじめてだった。
  三代目とブレンドし合うことが、先代から受けた恩に報いることなのかもしれない。
  神近はグラスを傾けた。ボールがカップに吸い込まれるかのように、氷が鳴った。
(第10回「新年に誓う」了)

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。 登場人物
神近(プロゴルファー)
中島崇晶(リーチバー、バーテンダー) 中島崇晶(リーチバー、バーテンダー) 協力 株式会社ロイヤルホテル(リーガロイヤルホテル) 530-0005
大阪市北区中之島5-3-68
Tel. 06-6448-1121(大代表)

LEACH BAR
Tel. 06-6441-0983(直通)
11:00~24:00

バランタイン17年 ¥2,310
ウイスキー ¥1,386~
ジントニック ¥1,732
カクテル ¥1,386~
料理 ¥924~
料金にはサービス料、消費税が含まれています(チャージ無し)

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